鹿友会誌(抄)
「第十九冊」
 
△故高橋志郎君と僕
三、学業終了後
 丈夫でもない健康を有する君は、病苦と戦ひつゝ勉学の効果現はれ、大阪高等医学校 を目出度く好成績を以て卒業したる後、先輩諸教授の推薦に依り、大阪の赤十字社病院 に勤務することゝなった、気軽な淡泊な君が自然の愛嬌は、熱心なる執務と共に医員患者 の歓迎する処となり、将来有望なる青年医学者として多大の敬意を表されて居った が、君の健康は永く君をして同院に勤務することを許さなかった。
 乃ち君は同院を辞し、一時淡路島に開業してあった□
 
 君の御医者さんスタイルを僕の初めて見たのは、大正参年の夏であった、僕が感ずる 処ありて自営独立を決心し、保険外勤として小坂出張中である。君は突然僕の旅舎を訪 ねられ、一夜の同宿に久し振りに肝胆を照しあった、君がオンチャ時代を脱し、紳士と して僕と会ったのは此時が初めてゞある、質素なる縞の洋服に包まれ、学生時代からの 鉄縁の眼鏡をかけ、薄い刈り髭に白靴を附けてあった、其洒々たる青年国手のスタイル は今尚ほ目前に有り有りと見られます、嗚呼僕は再び此スタイルを見るの幸福を得なか ったことを悲しまざるを得ない。
 
 其後宿痾兎角面白からず、専心健康の恢復に尽さんと諸所転地静養してあった。
 昨大正五年弐月、僕が日光鉱山へ出張を好機として、君を東京赤十字病院に見舞ふた 、生き生きしたる先年の血色は、今や到底君の頬に見ることは出来なかった、屋外の松 風も何となく心細く僕の肝を打った。「如何だ?」との僕の問ひに答へた君の言は「生 きらるゝかも知れない!」。而かも何等煩悩の様子もなく、大悟の態度である。僕の病 臥中、神は恒に「病は気である」と忠告して呉れた、
 「医学上から見れば、既に見込み無き程度になって居るけれど、今日迄保ったから生 命だけは保つに宜からうと思ふ」と語って、平然たる君は確かに「気」で全治しやうと 思ふて居ったのでありませうか! 噫!

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