鹿友会誌を紐とく 第十三冊(明治44.7) |
△「奨学金を設くるの議 法学士 川村竹治」 一、東北の将来 現在我国で成功者を多く出している県は、山口・鹿児島の二県である。次いで石川・佐 賀・熊本・高知、東北人はどうしているか。 個人は別として、「東北人」地方的勢力は微々、これは維新の際の東北の実情による が、自らがいたずらに薩長勢力のなすがまゝにあったと云っても過言ではない。自らの 努力により、運命を開拓せねばならない。その準備とは、人物養成に他ならない。 二、学問難 現今の教育とは、従前の道楽、見栄の為という考えはない。全く大事な就学教育とい うものに変ってきた、今日の学問は、速成を許さず、正当の順路を踏む如く、相当な時 間と金が必要となってきた。 三、人物の養成 「貧富、相済ふの道]を講じ、蓄財ある者は、その有余を貧家に与える。富家の宝、 ここに初めて値あり。貧児の才器これによって光放つ、一挙両得の感あり。 欧米では教育・慈善事業に巨万の富を投ずるあり。西南各県に於いては、古くから奨学 制度若しくは寄宿舎設置あり。我東北人に於いて今後、全精を傾けて人物養成の努力 をすべきである。 四、奨学金制度 私は殆ど無謀に近き苦戦悪闘の末、勉学成った。これも偏に大里・内田・佐藤・諏訪・田村 諸氏のお陰である。以上の諸氏からの学資金総額百数十円を返済しようとしたが、諸氏 は回避する。故に若干金を加え、参百円を奨学金として鹿友会に寄贈しようとしたが、 一昨年本会員の某君の学資欠乏を知り、一部を補助、目出度く来年卒業せり。自分は今 後経済上許す範囲でもって五百円乃至千円位まで出金したい。 本会の先輩諸君並びに郷里篤志家諸氏へ、我説にご賛同願い、奨学事業を起こすこと にご援助願いたい。 △「吾が郡の地気と人材 静堂 内田平三郎」 一、地勢と富源 吾が郡は、秋田市まで三十八里、盛岡市まで弐十二里、弘前市まで弐十里 金銀銅の鉱石を有す、特に小坂鉱山は世界有数の大鉱山 盛岡大舘間 − 陸羽横断鉄道はもうすぐ実現されるだろう 農産には不適であるが、無尽の鉱山物は今後数百年涸渇することはないであろう 二、過渡時代の努力 今尚南部領民意識は残っているが、岩手、秋田、青森等の習俗の変化感化を受けるこ とになる。今はいわゆる過渡時代といえよう。しかし、今がいい機会である。吾が郡の 発展は、一に郡人士に負うところ大である。 三、将来の発展と育英事業 過去現在でも決して他に劣らない、むしろ誇れる人材を排出している。和井内貞行氏、 内藤湖南氏、海軍中佐故石川壽次郎氏、同青山好得氏、法学士川村竹治氏等々。 吾が郡にして若し直に社会の進歩発展に与えんと欲せば、宜しく大に人材の養成に努 むべし。 育英事業が唯一の緊要事である。 △「三問題私見 毛馬内 中島織之助」 前号誌上において大里氏の建議せる終身会員の設定、会誌二回の発行並びに会費均等 問題に愚見を述べる。 一、終身会員の設定 金拾円以上でなければ、利子配当が年会費以下になる。 二、二回発行 趣旨は誠に結構であるが財源や如何に。現在でも大変であるのに、年二回を志すこと になれば、会費制度改正かつ紙数減は考えなければならない。 三、会費の均等 全くその通り。 |