鹿友会誌(抄)
「第十三冊」
 
△吾が郡の地気と人材   静堂 内田平三郎
一、地勢と富源
 秋田県下八郡中、其の面積最も狭小なるものを河辺、鹿角の二郡とす。河辺郡は御物 川の平原中に位して、秋田市に近接し、御物・岩見の二川を以て運輸及び潅漑に便し、加 之奥羽鉄道の通ずるあり、文明の利器闔郡を利益する所、甚大なるを観る。
 之に反して吾が鹿角郡は、県北の一偶に僻在し四囲山岳を繞らし、繁盛なる都市と相 距ること甚だしく、秋田市に到る実に三十八里、盛岡市に弐十弐里、最も近距離なる弘 前市と雖も尚ほ実に弐十里なりとす。而して米代川の上流は、郡を東西に貫通するも、 水流急にして舟楫を行ること難く、以て運輸の利便をなすに足らず。如此交通機関の不 備はやがて我が郡民をして、容易に日進文明の恵沢に浴すること能はざらしむに至る。
 
 然れども、全郡殆ど無尽の富源を有するは、僅に農産に拠るの外なき河辺郡の比にあ らず。即ち足跡の印する僅に尺寸の地と雖も、尚ほ且金銀銅等の鉱石を出さゞる無しと 云ふも、敢て過言にあらず。殊に小坂鉱山は、最新文明の設備を尽して、今や東洋の 鉱業界に覇を称し、世界有数の大鉱山を以て目せらるゝに至る。而して同鉱山の経営に 係る大館小坂間の軽便鉄道は、郡民に利便を与ふること少からずと雖も、未だ以て大に 満足すべくもあらず。
 然るに今や幸ひ盛岡大館間の所謂陸羽横断鉄道 − 否鉱山鉄道は、有力者間に其の必要を認めら れ、政府当局に於ても亦之に留意する所となれるを以て、其の実現するは近き将来にあ らんと信ず。斯くて眇たる鹿角郡も漸く文明の潮流に接触して、更に一段の進歩を見ん とす。
 
 翻って地形上並に地質上より観たる吾が郡は、必ずしも農産に適せざるにあらずと雖 も、将来到底農業に依りて、大なる発展を為すの望み薄弱なることは、敢て識者を俟っ て後知るべきにあらず、何人も能く首肯する処なり。唯四周の山岳中、実に無尽の鉱産 物を蔵するは、大に世に誇るに足る所にして、今後尚ほ数百年を経過するも、其の鉱源 の涸渇すること無かるべきは、世人の等しく認識する処なりとす。故に吾が郡発展の資 力は応に之を仰ぐを以て至当なりとす。実に、吾が郡の鉱力たる、現在及び将来に於て 頗る有望なりとす、郡民宜しく此の無尽の鉱力を利用して、大に天下に横行すべく、専 心郡の発達に努む可し。然かも其の前途や真に悠遠たり。此に於てか、余は吾が郡の人 士に向って確乎不撓の信念を以て、大に活動せんことを望まざるを得ざるなり。
 
二、過渡時代の努力
 現在鹿角郡の人情風俗習慣は、未だ旧幕時代の余風を蝉脱せざるが如く、而して郡民 の脳裡尚ほ、吾等は南部領民なりてふ観念の影を存するが如し。されば商取引上に於て も、幾多の不便あるにも係らず、秋田市よりは却って多く盛岡との取引を為せるが如き は、実に之が為にあらずや。尤も鉄道の便備はりて以来、更に青森・弘前との取引開始せ られたるも、風俗習慣等感化を受くる事、比較的少く、又現に秋田県の治下にあれども 、秋田人に同化せらるゝこと極めて薄弱なり。されど四囲の関係上、今後益々習俗の変 化を見るは勢ひ免れざるべく、誠に現下の情勢は、所謂過渡時代に在るものと謂ふべし 。而して此の過渡時代は、人心の帰向を決すべき最良の機会なり、故に現下の吾が鹿角 郡民たる者は、優柔不断の弊風を刷新し、最も健実にして真面目に、活動的精神を養ひ 、一致団結して吾が郡、天与の富源たる鉱産の開拓に努力し、鉄道敷設の連成を計り、 又十和田湖の養魚事業の如きを助成し、一方その風光を保護し、遊覧者に対する設備を 完成する等、吾が郡発展の方法を講ずるに懈るべからず。
 
 而して是を為すは一に吾が郡人士の努力奮闘に俟つの外なし。然るに過去に於ける郡 民の態度を察するに、何事かを為さんとするに当り、必ず自動的ならずして、他の誘導 に余儀なくせられ、僅に其の翼尾に附して制を他に受くるか、然らざれば先を他に制せ られて、後遅れ走せに之に倣ふが如き傾きあり。斯くの如くんば何れの時か、吾が郡の 発展を実現し得んや、敢て吾が郡人士の猛省を促さゞるを得ざるなり。
 吾が郡未だ一人の衆議院議員を出さゞるは、必ずしも不面目のことたらずと雖も、又 多少の遺憾なき能はず。吾が郡固より眇たりと雖も、何ぞ一二国民選良の材無からんや 。
 
三、将来の発展と育英事業
 既に無尽の鉱産力を有し、而して明媚秀麗成る山水のあるあり、此の如き地気を有す る吾が鹿角郡は、独り天然の恩恵を受くるのみならず、翻って過去及び現在に於ける人 材輩出の如何を顧みるに、唯に他郡に比して敢て遜色無きのみか、寧ろ大に誇るに足 るにあり。十和田湖の和井内氏は、是れ実に堂々たる立志伝中の人にあらずや。内藤湖 南氏亦然り、自主独立力行以て文学博士の栄誉を担ふ、一は実業界に、一は学会に雄飛 せら其の対照(コントラスト)真に妙なりと謂ふべし。吾が郡の青年は、宜しく二氏を 理想の典型として欽迎すべきなり。尚ほ故海軍中佐石川壽次郎氏、海軍中佐青山芳得氏 の如き、法学士川村竹治氏の如き、又皆独立力行今日の地位を贏ち得たるの人、数へ来 れば眇たる吾が郡、亦決して人物に乏しからず。されど吾が郡は、今後各方面に活動す べき幾多の人材を要するや論を俟たず。
 
 要するに国家の発展振興は、一に人材輩出の如何による。決して天力にあらず、他力 にあらず、有為の人材輩出して、初めて地の利を開発するを得べし。然らずんば豊饒の 土地も無尽の鉱産も、更に其の光輝を放つの期あらざるべし。況んや吾が鹿角郡たる固 と農を以て立本とすべからず、又工業を以て立つの地にあらず、尚ほ況んや商に於てを や。一の無尽なる鉱物を有すと雖も、郡人の資力に依りて為さるゝの望み少なし。茲に 於てか吾人は断ず。吾が郡にして若し直に社会の進歩発展に与らんと欲せば、宜しく大 に人材の養成に努むべしと。
 
 茲に於てか吾人は、育英の事業を以て、実に吾が郡民の採るべき唯一の緊要事たるを 絶叫せんとす。乞ふ、吾が郡の人士、奮うて是れが実行を期せ。而して育英事業に関し ては吾人別に一個の私見あり、希はくは之を次号の紙上に於て論ずる処あらんとす。

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