GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

杉村楚人冠

 元東京朝日新聞社の記者。

参考(出典):「鹿角のあゆみ」
 
 八幡平の観光開発の宣伝に力を入れていた頃、先代関直右衛門が、小坂町中村次郎、 花輪町根市吉蔵等と相談し、当時の名筆東京朝日新聞社の記者、杉村楚人冠を 湯瀬温泉に招き、ついでに八幡平に登山してもらって、国立公園指定の側面援助を願う 計画を立てた。楚人冠は、週間朝日にすばらしい美文の八幡平紹介レポを執筆して くれたが、登山の途中、トロコ温泉付近で落馬し、腕を打った。これが又思いが けない宣伝になり、又これを治療した(大字八幡平)永田の整骨老人と共に文にも なって有名になった。現在トロコにはその落馬を記念した石碑が建っている。
 
 当時は谷内までは自動車が通じていたが、その上は徒歩か馬の背に頼る外なかった。 したがってその頃の八幡平は、奥羽アルプスの秘境と云うキャッチフレーズで宣伝 されていたが、楚人冠滞在中、武塙三山(当時秋田魁新報編集長、後の秋田市長)が 平原で女も子供も登れる山、誰でも歩ける山、と宣伝しよう」と語った。この提唱は 地元各方面でも大賛成を受け、それ以来奥羽アルプスなどの名は消え去った。

毛馬内町田口定吉と共に八幡平を踏破して、「八幡平を奥羽アルプスと言ったり、 奥羽の秘境と呼ぶことをやめよう。八幡平は誰でも登れる親しい山、その名の如く ※お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい。

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