佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

此の如く全辞職して我屋に勇退し、我が政府は平安京都の市公民たる栄誉を賜ひたり。 然りと雖も、悲ひかな、我日本帝国の固有とする我生地元戸籍詳明ならず。 不具にして名誉完全する能はず。 三井銀行勤仕中に在ても、一大国家公共国益起業計画に方り、諸人の疑惑を蒙り、 社会の信用に乏しく、大に目的を害したる原因たるや、 推せば則汝強盗、財を得て、其証蹟を隠蔽する。為め我等祖先以来の元戸籍抹殺為したるに付、 家名再興為さんと、産地に照会するも頑然として公正なる証明の回答を為さず。 悉皆汝盗賊の妨害に因て此の如し。 故に我等は、無産地人間の如し。今日に在ては、人に朝鮮産の人間と云はるゝも、 清国出生の人間と咎めらるゝと雖も、証憑を以て確答するの証明書、之れ無きに苦む。 汝は、今日の平和聖世に在りながら、逆賊朝敵、捕虜根性遺持して、 帝国公民我等に対して、不忠ものと嫉妬過言するも、 又我等は汝等を卑視するに、我皇帝へ対する兇暴逆賊、朝敵大悪無道の狂漢なり。 殊に我等の父母等の身上へ対する復仇怨敵なり。
 
当初愛弟寅太郎と告別に遺したるは、腕前を練修して美濃の首級を得んと示す。 彼れは此一言に誓ひて熱心に種田流鎗術に修練し、予は寅太郎の試合を試検するに当り、 一人にして一時五十人と立合、剣鎗を相手とするに、敗を取らず。 之れに感泣して美濃を討て首級を得ると雖も、 兄弟生を空ふするは、父母の意に背くに似たり。 天下国事に要せんと諭して止みたり。 則利剛に生を与へて、我は産地を去り、寅太郎は無主浪人にして、 怨仇を視るは忌みしく候と雖も、忍びて跡を継ぎ、師範職に力め、 多日仙台に去りて、九条道孝公を保護し、奥羽の賊徒鎮撫九条公供奉、 上京の途中秋田久保田に於て不孝に病に斃る。 此の如き怨仇抗敵理由有る我等にして、汝逆賊に忠義を尽して、朝敵たるを需るの利あらんや。 凡、世界万国に於ても、之れを需る類あるを知らず。 我等は天下国家に通常の公民なりと是認して疑はざる者なり。 汝は旧捕虜なり。社会に対する衆愧を知らずや。 自今眼前、清国捕虜を視ても、鴻恩の難在て知るべし。顧みて諒せよ。
 
右之通、予は汝の兇暴狼藉に遭遇して爾来、先祖正家の遺言を海草し、生を忘れて、 大に封建の不可なるを信じ、普く有司邦友の交誼を需めんと欲す。 道路傍土に復没するを期し、 慶応元年三月十八日、生地を去て、天祐に任じ、人道に努力して、 幸に王政復古、聖世に際会し、信書を以て何時に試みるに、何ぞ図らん。 汝に於る我に対し、虚詞を構て、自己自ら旧国主と称し、威力を達せんと、 更に誠意改心するに非ず。人道の化を求むるに非ず。 其謀計存する所を試みるに、汝悪友に謀り、既に二十有余年の久しき日時を経過し、 予は今日、茲に社会公然に訴へ、我が名誉の回復を期す。 各項に開陳して、汝の回答を望む。 汝、質問あらば、予、記臆に任じ、応答可及候也。
   旧盛岡領花輪谷地田町佐藤屋庄六事
     京都市下京区八阪下河原町四拾番戸
 明治二十七年十一月  花輪正摸

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