佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

△あとがき
 私は現在、わが国の神社神道を奉じ、 自営(陶芸関係)の傍ら、 宗教法人菅原神社の宮司を拝命しております。
 神社神道は、古来、日本人の中に育まれてきたわが国固有の民族宗教とされ、 いわゆる教義教典を有せず、 日々まとわりついてくる罪穢れなどを、随時、 また必要により修祓(しゅばつ)や禊(みそぎ)をして、 浄き明き直き正しき誠心を以って生きることにあります。
 一方、世界宗教では概略、 例えば聖書の宗教では、生来の「罪」を償うために、与えられた課題を履行すること、 また仏教では、生来の「苦」を克服するために、八正道を遵守することで、 それぞれの宗教生活が営まれ、目的が成就されるとされます。
 
 私自身、日々努力し、又努力しようと心がけておりますが、 何時も、何がしかの罪穢れが纏わりついているように感じられ、 或いは罪穢れに追いかけられているように想われ、 必ずしも、全うな人間にはほど遠い生活を送っています。
 
 ところで、私はときどき、神社神道に関係する各種集会講演講義などで、 よく講師の先生たちが、「江戸時代(狭義には江戸の町)は、265年間の長きにわたって、 平和(戦乱戦争のない平穏な社会)を維持してきた、世界にその例をみない、 理想的模範的な国(都市)であった」と称賛するお話しを耳にすることがあります。
 即ち、江戸時代とは、「徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)に勝利して、 征夷大将軍に任ぜられ江戸に幕府を開いた1603年から、 徳川慶喜が大政奉還した1867年までの265年間(goo辞書)」を云います。
 
 さて、本稿「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」では、 江戸時代の終焉の様子が綴られています。 戦国時代での教訓と云いましょうか、反省と云いましょうか、結果と云いましょうか、 政治体制や社会構造が「総括」されて、いわゆる幕藩体制の国体になりました。 それらの具体例が、本稿ではいろいろと紹介され、また垣間見ることが出来ます。
 
 最下層に位置する、いわゆる土人は、当時の人口の大部分を占め、 幕藩体制の政治経済は、土人によって支えられていました。 土人は、最低限の生活水準と云いましょうか、ぎりぎりの衣食住しか与えられていませんでした。 生きるのが精一杯でした。 超苛酷な労働環境、超抑圧された思考言語、超規制された行動の自由……。 今日感覚では想像を絶するような、、厳しい思想統制、惨めな生活環境に置かれていました。 このように、土人層を犠牲にすることで幕藩体制が構築されいたことを、 本稿では知ることが出来ます。
 
 神道の意義は、あらゆる事象現象を是認することにあります。
 運命なのか因縁なのか、或いは、人間が持って生まれた罪なのでしょうか、苦なのでしょうか。
 私は、わが国固有の神道によって、 これらを解決乃至は癒してくれる糸口が導かれるのではないかと思います。 しかし、過去の出来事は、払拭されることはありません。 いくら神前でお祓いしても、いくら寒中に、清水の中に浸って禊をしても、 祓い清めて消し去ることは出来ません。
 私は想いますに、本稿を皆さんにご紹介することで、 お互いに、お互いの心の中に、何らかの清々しい安らぎが芽生えてきて欲しい……、 そのようなことを念願しているものです。平成20年11月吉日[守]

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