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苟も大日本帝国東京控訴院公判席に於て、小杉直吉、放言したる如くなれば、
大名諸侯より成立たる華族なる者は、各山賊強盗の子孫の如し。
東京控訴院公判席に於て小杉直吉は、汝、一人私人の悪行掩蔽する為め、
華族一般の名誉を害する者也。
汝と直吉と、異口同音に生殺与奪権と主張すると雖も、汝は貴族の列に在り、
直吉は官吏の列に在り乍、法衙を濫用し、虚を以て正とする、公法の不許所也。
彼の生殺与奪権と証するは、国民対する政治上に要するものに非ず。
我大日本帝国固有に由り、封土にある者を、武家武士と云う中古以後、封土名名を改め、
遂に高石の名名を付し領高と云う。此領高を前政府は、軍役高と称し、汝も既に家来の者に、
身帯高を与ふる命令証文末文に軍役可相勤者也と明記したり。
此故に軍事開戦に方り、勝敗に由り、敵より生擒たる者へ、
生を与ふも、生を奪ふも軍事上、特別に付し、之を生殺与奪と云也。
要素平和国民に対し、政事上に利用するを得ざるは、我日本帝国固有の公法也。
之に因て、平和国民の生命財産は皇土の国民、天賜特有也。
汝は人道無知識にて、淫慾座食、生を知る而巳。
予に対し同音罵倒したる小杉直吉は、神聖なる法律の主意を蒙晦に殺されたるを憾とす。
汝、旧捕虜前に掲げ候勅詔の聖恩を知らず。
今日の支虜すら聖恩に感じて号泣せり。支那捕虜に劣る勿れ。 右に縷述の如く庄六は百万の財産、汝兇暴逆賊の為めに盗賊等の犠牲に供し、 土人平民と雖も、我等祖先正家は近江国甲賀郡を領し、水口城主にて、 豊臣家五奉行の一人たりしも、不孝にも関ケ原軍に敗し、本城に倚り自殺の死屍を二つに成し、 徳川家康は其首級を京都に獄門台に晒し、一子遁れて奥州鹿角郡に土着帰農以来、 苟も九代連綿、一家戸籍を殺して無戸籍と為し、我等は狂漢の殺害を被ると雖も、 動物同然にして、人間の生権を失ひ、故に生地花輪を去るに、僅々金三両懐中にして、 運を天に任せ、神明に誓ひて断乎として慶応元年三月、 生地を退きたる以後、人事を尽して生を保存し、明治五年一月を以て三井組事業に従事し、 三井組目代として 官省府県の公金保護に従事し、明治九年三井銀行創立、株主に加盟し、重責を負担し、 其の証左に示す。 花輪正摸 年来勤務勉励、各店錯雑之雑事、不容易尽力、及整理候条、奇特之至因而、 為賞別紙目録之通給与候事。 明治十八年三月中二日 三井銀行大元締 三井銀行大元締印 右之通巨額金員の恩給を得候 花輪正摸 鹿間鉱山出張所取締申渡 明治十八年二月 三井銀行大元締 三井銀行大元締印 岐阜県飛騨国吉城郡神岡に於て、三井組多年鉱業損亡金拾八万円償却の義務を負担して、 任地に赴任し、大に目的上感ずる所ありて、 之れに加ふるに資金四万円借用し鉱業改良に熱血尽力し、坑区三万坪の所に五拾万坪の 増借区を農商務省へ上願して全山を占領し、 帝国の一大坑区に改良し、銀銅礦物の純良なる、内国に冠たり。 一年金六万円の入費定額を以て純益一年金弐拾万円以上の所得する。 三井百年の金穴に供し成功を遂げ、辞職を呈して左の示令を得たり。 花輪正摸 依願暇申渡 明治廿二年十二月 三井銀行大元締 三井銀行大元締印 右司令と共に在勤中、為賞巨額金員の恩給を得候。 |