△東京控訴院小杉直吉は政府以外の動作なり 東京控訴院小杉直吉裁判官、言渡書謄本一読するに、 我大日本帝国政府以外、中古無政府党の文に似たり。 且謄本に刑罰を受け、佐藤屋庄六の資産、則本訴の財産に於けるも、 其処刑の当時、押収せられたる事実は、控訴人已に自供する所なり。 ○と途方もなき虚文を載せたり。 其処刑の当時、押収せられたる事実、予は自供したるに非ず。 即時に密室に檻禁八年の久しき、知る能はず。 述ぶるに由なき無根の文字記載あり。 予は一度審庭の模様を視察の為め、代言人と同道傍聴の際、小杉直吉は、 予に対し家財取上げ言渡しを受けたる覚へありやと問に対し、 覚へあり、然かれども、而して其家財を同人妻子に被下置ものなりと言渡し、 家財は還附したる趣なり。 其外なる佐藤屋庄六名義本訴の財産は、返還無之趣、八年の後に承知したりと総答へたるもの也。 是を自供として、小杉直吉、作為し偽りの文字を記載し、 自供の趣意と謄本の文字と其趣意大差の甚しき。加之、人名財産物名同一なる非ず。 維新以前と雖も天下一般人名物名の異別区域ある物件に対して、 物品名附加の明文無之以上は、今日に於ても物品押収罰金を附加する明文なき者は、 日本帝国各裁判所に於て、物品押収罰金を徴収し、所有物件を押収するの権利なきもの也。 又小杉直吉の謄本、 ○旧盛岡藩の政治上に係る処置なり、 ○とあり、小杉直吉、裁判官の名義を有する者に在りながら、 維新前後、無差別単に被告人の虚語容れ、藩庁称号、乱用許諾し、 維新以後、我大政府に於て補せられたる。 藩庁称号を以て維新以前に係る一私人の裁判に乱用したるは、 無実の虚文に付、予は信ぜず。 既に旧政府代、大名武鑑明記の如く、領主城主号を与へ、国主藩主の名称無し。 而して藩名藩庁の設計年度は、王政維新、則明治元年の以後にして、 其以前は政府始め御領他領の人に対し、南部美濃守家制と称へ、 私領士民に対しては、御上御家制と称ふる通語也。 又家財、同人妻子え被下置者なりと言渡の事実共に自供したり。 然るに小杉直吉は、加害被告人不利なる自供趣意を削除して、被害原告を妨害するに巧み、 小杉直吉は、被告人保険の謄本与へたるは、 我政府部内に精神を置きたる裁判官と見做能はず。 苟も多額訴訟印紙貼用の訴訟に対し、小杉直吉は、裁判官たるの責任義務を挙行するにあらず。 一己私心専念に逆上して、法律法令を忘却したる裁判なり。 其無法なるを、大審院に上告に及ばんと望むと雖も、聞く所、大隈重信、池田弥市の魂胆、 軋轢妨害を予察し、上告を差控へたる者也。 小杉直吉、俸給を得て官吏の職に在りながら、畏も我大聖至仁天皇陛下聖念を痛ませられ候 詔書に反抗し、官軍を以て追討せられたる兇暴逆賊、南部利剛主従、 共謀に加害したる被告人の訴訟に対し、曩きに天下に公布の公文は、直吉の意、如何に想へるか。 悉く精神を野に置きたる者と見るは、則加害人なる本訴の被告人は、 御処断に当り、我朝廷に於て、其罪難被差依之、城地召上。従賊楢山佐渡は天誅に斃る。 目時隆之進は切腹に斃れたる。天下の悪漢を深く保護して、小杉直吉、其逆賊悪漢を覆掩して、 政治上と為せば、逆賊変じて国家の忠義となるものゝ如し。 加ふるに小杉直吉、壮語に云く、 ○殊に庄六名義の財産没収の処分を附加せられたるは、苛酷の処断に出でたるにもせよ、 固より旧盛岡藩の政治上に係る処置なりし事明確にして、他の甲号証等に照すも、 一己人なる被控訴人の所為に出でたるものと看做し難き、 ○とあるを以て視れば、附加の明文も無くして他人の財物を強奪したる天下の逆賊朝敵たる、 南部利剛主従は、純然たる天下国家、忠臣義士の如し。 然れば則ち我大日本政府は、我国の忠臣を、王師を以て追討せられ、 海内に公布して、徒らに南部利剛の官位領分剥奪せられ、城地召上げられ、 庶人となす主従謹慎、及死刑所罰せられたるは、取りも直さず、詔誓の不法なるものゝ如し。 現に証拠物中、控訴院え提出したる其当時公布太政官日誌詔書の趣意を、 小杉直吉は蔑視したる、不敬至極の所為也。 察するに小杉直吉は、明治元年上野戦争、其当時の一人にて、奥羽に遁迯したる者に付、 右の勅書明文に反抗する者と予は疑団止む能はず。 此の如き私意を逞ふして文明の今日、官吏の職を曲るは、予、訴訟に相拘らず、 国民の義務として奮然堪ゆる能はず。 |