佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

△南部家の妨害に因り毀損名誉回復を需むる要旨
此花輪正摸、先祖近江国甲賀郡水口住人長束正家没落の際、 慶長五年九月一男陸奥国鹿角郡大湯村に遁れ、永く花輪村に土着、 土民子孫にて二百有余年、祖先より伝来の財産を所有し、 豪富の多額貢納者佐藤屋庄六也。 花輪谷地田町に代々住居し、農に商に専務、国益に従事したる公民也。 領主南部家え対し、屡々金穀献納の功績に由り、 年貢免除金納高七拾石あり。 南部家の用達相勤めたる事もあり。然れども悉く返上したる佐藤屋庄六也。 奈良伝右衛門と更に名義を設けたるは、僅々六年以前なり。 安政元年四月、南部利剛の直書に由り、御免の名字交附、蔵米は勿論、 年貢免除高並に秩禄一切返上、伝右衛門は僅に十ケ年、禄返上の手続きを了へたる為め、 別に遺れる而巳。
 
然るに公然身分異なる弐百有余年来、連綿佐藤屋庄六の名義に、 毫も関係無く、新に六年前新設奈良伝右衛門名を指て、城下盛岡に呼出し、 八年間繋留し、奈良伝右衛門名義全く削除して放免言渡を為し、 公然一人一名佐藤屋庄六に復し、慶応元年正月佐藤屋庄六儀、 花輪町に帰村したるに、豈図らんや、本籍戸籍人別を削除して、 住地戸籍人別帳を塗抹し、往古より土地に佐藤屋庄六と云ふ名義無き者の如く、 戸籍帳を故造し、其所有財産の内、屋敷内家蔵金穀商品は南部家に押取して、 家財還附の節、該品は還附為さず。 住居屋敷外家蔵、外なる貸与物又は預け物件等の如きは、諸人、庄六不在を僥倖とし、 且混雑に乗じ、竊かに兇徒暴行に先懸け、必要の帳簿書類を焼却し、 深く之れを隠匿し、土人、悉く之を察し、借主預り主等各自に包蔵して、答ふる者無く、 前以御手元御内密者は、南部家悪漢卑屈不法手段を知らしめ、 土人予知して、佐藤屋庄六名義必要帳簿書類を破壊焼却したる物件に対して、 悪漢等は之を徴収するの道無く、終に放棄して帰城し、各自土人に横領せられ、 既に業に兇賊は又夥多土地の盗賊に窃盗せられ、然りと雖も暴行の兇賊汝等、 世上に恐憚して夥多盗賊を処置する能はず。
 
津軽領分の者、秋田領分の者は勿論、他領の者は南部美濃守の兇暴卑屈を耻辱して、 公然横領為せり。 又所有主庄六は、戸籍名誉抹殺せられ、是を責むるの権利挙行する能はず。 寧ろ汝強盗の手に得せしめんより、土人横領に附せしめんと断念し、 強奪人、則汝の手に得たるものは、既に、則我財産の百分の幾分なるべし。 此の如き兇暴盗賊汝を見るに、一邑主治法権者と称するものに非ずして、 今日世界に云ふ、無政府党なり。 加之我大日本帝国法例に由らば、其人体に係る委皆の責を終へ、放免の命令を施行したる上は、 其元籍に報告して、戸籍人別帳に復活登記せしむる歟。 又は放免の証拠を与へて本人に其手続を為さしむるの法令也。 維新以前と雖も、今日の法令と雖も、主治法権者の為す可き者にあらず。 汝等当始より奈良伝右衛門え言渡本紙も謄本も、一切附与せざるは、 上訴を恐れたる故なり。 無政府党等、意の如く百万両の財を得ずして、意外に出でたるを以て、 再び此庄六を謀殺を巧みたるも、前知して、危地を去る天の我を助くる、又此の如し。 早く汝兇悪、悔悟して公衆に公布し、予に深く恕を需むるの外なき者也。 予は王政復古、維新の僥倖に乗じ、公然、汝に望む者也。
 
本系南部の祖先を尋るに、毫も皇室へ功も無く、糠部県令の如し、 北条高時の乱を助け、後、高野師直に謀て土地押領し、皇室を蔑視して、朝恩と云を知らず。 政府在を知らず。無政府党の暴威を振りて、人民に対し至酷の疾苦を与へ、 独り栄華の夢に迷ひ、帝国人民に対して、卑屈の念を脱する能はず。 飽き足らずして予の攻撃を受くるは、何たる卑しき根性なるや。 汝は王政維新を憎むは、其身其家の成立を知らざる故也。 予は汝に反対して、我国王政威信万歳を唱謡する者也。 既に明治元年十二月にして我政府に対し、兇悪悔悟伏罪に及、 生命を賜へ城地被召上、於東京謹慎被仰付候上にも、出格至仁の思召を以て、 家名被立下、更に拾三万石下賜、永世子孫に関する名誉回復の恩命を回想して、 汝等、被害人庄六え対する名誉回復せしむる道理を知らず。 汝、顧みよ、如何に汝等血脈庶人の子孫なるにも拘はらず、 至仁至徳なる大聖陛下より恩賜の国民権を以て、汝を責むる者にて、 其儘に難差置、依之、名誉の回復を需むる者也。 加害人汝、之を諒せよ。旧捕虜、之を諒せよ。

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