佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

次に奈良庄重郎へ言渡文を見るに、無根の虚説を掲げて、悪意之文を故造し、 長谷川寛平を刑して其名を名とし、不埒至極の冤罪を負はせ、 野形開拓して、汝の収入増殖したる国家大功に酬ゆるに反して、犯罪とす。 刑罰に処するの法律は、古今大日本帝国に於て、其実あるを知らず。 汝が奈良庄屋重郎へ命令証文を与へ置きて、汝が奪い取り、 汝の手元に隠匿の証文に引照して見よ。毫も犯罪なき者也。 例を引証して見よ。加ふるに安政元年九月、碇村地行書御取戻の節云々とあるは、 是又、事実無根の作為也。 該返上地の理由を開陳すれば、南部信濃守利済、非常の奢侈、一年の用捨無く、 続々巨多の金額を徴収したる而巳ならず、秩禄を押売り、為めに領高年度貢能減少し、 極窮に迫り、不良の結果を現し、押売りの秩禄を売代価不払の押買を巧にし、 南部利剛は安政元年四月、直書を以て勝手不如意に付、不本意に候得共、 寛政四年以来、金銭品物差上被下候。 新地加増の分取戻加増の分は、七年差上候。 金銭下戻し新地の者へ十ケ年中三分の一、金方を以て被下置、 士道の志、無之者え十ケ年目差上候。 金銭下戻候事と不法に押買、取戻を謀り、知行御取戻と云ふは、則此押買を云也。 既に安政元年九月以前、疾に奈良庄重郎は盛岡に於て、知行小高帳及家老連判秩禄証文、 同年五月中に一般の返上者と共に、返上の手続きを履行し、 其後に於て知行所高持地主等に対する地頭の資格を塗抹せられ、高持地主は、 旧地頭に対する義務全滅し、断じて関係無き者也。 然るを後日、旧地頭は旧領の高持地主え対し、何様依頼に及ぶと雖も承諾する者なき而巳ならず、 奈良庄重郎は、其要無き者也。 況んや横領為し得ると否とは、汝等、既に領地郷村高帳を以て、土地人民返上の手続履行相済、 一般公布の後、旧領郷村に至り、返上地の幾分を横領せんと、巧にするも、 決て為す得る者に非ず。予、断じて疑を容ざる也。 此の如き、則奈良庄重郎、返上したる後の事柄と、汝南部利恭領地返上したる後の事柄と、 毫も異ならずして、同様の事柄也。 此の如き正当の実ある者に対し、事実無根の名を設け、加ふるに兼々我儘の所業有之、 士分に不似合、重不調法と汚名を附加し、人間末世に係る名誉害したる其根元を尋ぬるに、 奈良庄重郎は、盛岡に於て士分中、雄名金満家の高評に昇りたる者に付、 汝、其庄重郎所有金強奪の手段を求め、唯に汝、偏執陰猾なる念を抱き、 利剛佐渡共謀卑策密計の策を巧にしたる強盗の所為なり。
 
其次に、奈良伝右衛門へ対する言渡文を視るに、奈良庄重郎に対せし無根の挙行を強引して、 財物を強奪する為め、故造の文也。 而して奈良庄重郎親類共へ言渡文と奈良伝右衛門親類共え言渡文を見るに、 盛岡に於て奈良庄重郎親類中に対するの言渡は、該文の如く実行し、 鹿角花輪に於て奈良伝右衛門親類中え言渡は、該文の如き実行為さず、 其言渡文を世上に虚布して、汝、強盗の所作隠蔽するの陰猾の挙動也。 依之、各言渡は、政事以外一私人南部利剛、楢山佐渡、卑策兇暴、強賊略奪に為したる、明かなり。 既に業に天下の逆賊南部利剛、叛逆主謀楢山佐渡の指揮は、天下に蔽ふべからざる強盗に付、 国家の政治とは云ふを得ざるもの也。
 
既に我政府は、叛逆と断定し、厳刑に処せられたる後に於て、 裁判官は政権者と為したるは、裁判官にして我政府を誹毀したる者也。 汝等、則既に明治元年十二月七日、行政官の御沙汰を蒙り、後ちに於て如何に土民を誘導し、 陰謀教唆に及ぶと雖も、一人として応ずる者無き事実は、予の聞く所にして、 明治二年二月盛岡城地引渡の砌り、旧領農民共、旧主愛慕の情実と偽り、且多人数徒党致し、 八戸南部遠江守へ歎訴に及びたる者の中に一人の農民、在に非ず。 汝家来をして風俗を農民の姿に易へ、右不埒の始末に及たりと聞く者也。 此の如き農民は、労力だにも旧領主の頼に応ずる者あるに非ず。 況んや上を欺く不良心をして返上地の内を横領の陰猾卑策を応諾する者あるや無しや。 汝等の身の上に於ても、知るに足るべし。 誠実なる奈良庄重郎は、上を欺き、横領の致方と云う無根無実の文を加へたる、則狂漢なり。 之れに附加するに、兼々我儘の所業、士分に不似合とあるは、 無形の名をして汚名を加へたる者にて、汝卑怯なる甚し。 殊に庄重郎は、齢既に五十三歳、歩行不弁に拘はらず、汝等政府より拝借金に対する抵当金 鉱廃業難相成に付、毎年巨額損失の鉱業負担せしめ、産出の純金は、御手元御用として 掠取し、代金の下附も無く、加ふるに北海守禦準備献納米及び江戸屋敷造営費御手伝金等、 速かに完納し、庄重郎嫡子礼八は、中奥小姓相勤め、汝の手元に勤仕す。 引て北海防禦大畑函館詰軍役に命じ、父子共に奉公に怠らず、 士分の責務は、衆に勝れて、勤勉の功を尽せり。 然るに計らざりき積功の結果、兼々我儘の所業、士分に似合はず、重き不調法とする、 汝は何の所以を以て、何に依て此の汚名を付したるや。
 
庄重郎は、年若き時より、父に孝行にして、厳父の教を守り、非常の時は、数千石の米穀、 数千両の金銭を献納し、常に巨額の国益を納付したる忠良の士なり。 常に貧民を恕し、他郡に於て百姓一揆数回に及ぶと雖も、鹿角郡に限り、 昔より一揆蜂起の例、一度もあるに非ず。士分の制を犯して他領に往復したる事も無く、 重軽法度規定を違犯したること、一切之れ無し。 之を以て、予は庄重郎行定に於て、士分外の我儘と称する行為の一切無之の事実、 予は断言する者也。 此の我儘の二字は、国家政事、法律明文以外、言語にて狂暴悪漢下卑の語なるを知る。 毫も司法行政の役人等の公然施行したる挙行にあらざる事実明白也。 加之、汝等、勝手不如意に付、不本意に候得共、金銭品物差上、 新地加増の分取戻との自己一私の威力にして、汝は士民より代金を得て、 身帯秩禄を売却に附し、其価の償却為さずして、押買に七年目十年目に其元価金を下戻しと圧制、 司法行政の名を借るべき理由無之。 汝、則詐欺取財の所為なり。 然りと雖、奈良庄重郎は不如意の汝元価金七年目に下戻との一語も承諾して、身帯高壱百石余、 卑劣の念なく、速に返上し、一点の批難を蒙るの理由無き者也。 然るに汝南部家創立以来、例無き冤罪汚名を庄重郎に加へ、 一家永世子孫に係る名誉を害したる上に、回復をも妨害し、 老年庄重郎を徒らに多年獄に繋留して、疾苦に死没せしめたる。 汝は、則天下に類なき狂漢也。

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