△南部家に於て前田家に対する敬礼の来由 南部家に於て、元加賀金沢前田家へ対し、尊重本家の敬礼を以て為したるの原因を云ふに、 慶長年間、大坂出陣に当り、南部家は一門南部十左衛門なる者を派遣し、 以て豊臣家の味方に加へ、徳川家の命令に違背し、大坂に出陣を為さず。 大坂落城、天下の政権徳川家に掌握すると、台命を以て南部大膳大夫信直を 大名諸侯席削除せられ、領地没収せられんと為し、信直、伏罪に及びたるに際し、 前田加賀守利家卿の取扱に由て、回復の恩典を蒙り、 大坂陣中に於て生擒したる南部十左衛門を信直へ引渡さる。 右十左衛門は、鹿角郡尾去沢西道金山坑夫にて、家来に非ずと、徳川家へ答申し、 右十左衛門を国元へ引取り、死刑に処したりと云う。 南部十左衛門は其当時、南部家鉱山担当の家門列の者にて、 信直は大坂に軍用金献納に付、牛に純金を荷はせ、 十左衛門を差添へ北国に廻り、大坂に披露為したりと口碑あり。 南部家は密に南部十左衛門の家名を相立、桜庭十郎右衛門と改め、知行高千石を以て、 家蹟血脈永く存せり。十左衛門死刑の地所より仇念の妖火発すると云ふ。 近世に至る迄伝来あり。鹿角郡尾去沢鉱山西道金山の北に当り、 十左衛門屋敷と称する地所あり。南部家は、此の如き事を両端に持し、 前田家卿の救助を蒙りたる恩典に対して、永代子孫に至る迄、 恩待を報する為め、本家敬礼を以て供することを誓へたるに由り、 利家卿の利の一字を給はり、以後代々南部当主、利の字を実名に要する経歴、 既に業に家来一般に示して、南部家の伝来と家来の口碑に遺れり。 殊に近世南部大膳大夫利雄の室は、加賀宰相吉徳卿の姫君、入嫁して血縁の続きありて、 南部家に取ては、貴重の親類也。 然りと雖も、僧徒修礼は、南部家の代を継ぎ、南部信濃守利済と改名に付、 古代南部家の血脈に変易し、貧生庶人の慣として、礼義恩酬を継続する能はず。 血脈を詐偽して、古き名誉を以て詐術の要具と為す。 此の如き実歴は、深く隠匿し、他領の人、其事実を知らば、水戸徳川家松姫君の縁談、 相整ふべきものに非す。 又大隈重信氏は、令嬢の婿養子を望む者に非ずと信ぜり。 予は、水戸家大隈家の縁談の意外なる察する者なり。 |