△盛岡願教寺僧徒修礼と徳川天一坊との比較の説 盛岡願教寺の僧徒修礼の謀殺詐欺の手段と、徳川天一坊詐欺の比較を見るに、 修礼の悪智、遥に天一坊の上位にあるを察する也。 其故は、天一坊は一大詐欺を行ふに方り、 将軍の人種と名乗り、紀伊国より、当時才智群集の東都に進行して、大岡越前守の為めに 刑に処せられたるは、大に修礼に譲る所あり。 修礼と毒婦詐欺の手段は、事実油売の妻女なる毒婦、詐欺手段巧にして悪漢に謀り、 修礼を南部家の家門の列に加へんと、其需めに当り、評議に際し、南部家節烈の忠士高橋与四郎、 之れを説明し、僧徒修礼は、南部家先代の人種に非ず。 姦婦姦夫の間に出生の事実見届ある証人を挙て弁明、却下せられ、 修礼母子は後日に謀る所を慮り、抗弁に勉めず。 天一坊の浅智を補へ、身躰を無事に送光するを、悪漢の教唆に慣へ、 各共謀逞ふし、悪漢終に主南部大膳大夫利用を毒殺し、 南部家最上親類加賀宰相卿の命令と詐称し、 修礼を家門の列に加へ、家門南部修礼を以て本家相続の披露に及、 俄然士民を恐怖せしめ、遂て修礼は、南部信濃守利済と改名し、 悪姦は家老御側御用人表御用人の高等役栄花、元俗修礼は頭髪の復飾、 一年病気と称して参府を延期し、悪漢を要具に置き、其謀計手段に於る。 中々天一坊の及ぶべき悪漢にあらず。 曩きに修礼の詐欺証明したる高橋与四郎、既に死没し、鬼籍墓碑に厳刑を言渡し、 墓碑入獄したるは、前世にも後世にも稀有の妖語也。 諸人に恐怖を懲らし、遺族を処刑し、其他忠士を排斥して、悪漢を集め、 役人一変して悪漢妖窟の盛岡城たり。 制度虐政、日に加へ妙齢の婦女を集めて畜妾となす。 畜妾の親類を集めて俸禄授与して、役人となす。 相以て悪事を養成し、悪漢交々争て相以て害し、而して后ち南部家相亡ぶる所以也。 |