佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

古来盛岡領分財産所有の者は、家来籍と一人両名、義務を負担し、 家来席に江戸屋敷造営御手伝献上金を申付、之を徴収し、財産に係る人民籍に分限割、 及高割を徴収し、又中奥御用方なる者を置き、献上を勧誘して秩禄高を売り附け、 人民を家来席に加入し、悪制度至らざる無し。 一人にして両名に徴収せらる負担の重き前後左右に迫り、生活の方針無く、 終に九戸郡閉伊郡数万の人民、家屋耕地を棄て、南部領を立去る、之を防ぐ為め、 数千の軍役士卒派出して窮民通行の道を拒むに、軍器を以て夥多の人民を無惨に討殺す。 然りと雖も遁るゝ者は艱嶮山川を越へて、仙台領内へ立越へたるを、 伊達家に於て通行を止めて其子細を尋問し、窮民の答申を容れ、以て事実を政府へ進達し、 而して人民、本籍盛岡へ照会あり。右の人員引取の為め、大老職南部弥六郎は、 仙台に派出し、窮民一人たりとも惨刑致間敷誓書を呈出して引取、 帰村せしめ、右の顛末、政府の御評定に登り、大隠居信濃守利済は、江戸表へ召呼ばれ、 条件の言渡、江戸屋敷に蟄居被仰付、当主美濃守利剛へは、定例高役貢税の外、 苛役重税用金徴収厳禁の命を蒙り、則ち利済利剛父子の悪挙は、 悪漢の補翼に因り得たる不正の富なれば也。 庶人修礼は、南部信濃守と成りたるは、妖窟の組織也。 利済始め家老以下の役人、一人として純良清潔の者在るに非ず。 又其不潔なる悪漢は、利済利剛父子に恩を与へたる恩人なり。
 
利済利剛は、不正の富占領したる上は、家老以下の悪漢に対しては、恩待義務を有するものにて、 主従を以て諭する限に非ざる事実に徴して、平等悪漢同志、相以て排難し能はざる身上にあり乍ら、 既に恩義亡却して、花輪伊豆死没後、伊豆勤役中、邪智侫奸の振舞あるを以て、 身帯御加増の分、御取上、家格引下げると当主徳之助へ言渡したり。 横沢兵庫自ら警戒して、家老職退役し、後に彼れに言渡に、勤役中、 邪智侫奸の振舞に付、身帯御加増の分、御取上、家格引下げ蟄居隠居仰付らるゝ者也と言渡したり。 利剛之心底、如何ん。 花輪伊豆、横沢兵庫は、邪智に富たる者に付、其補翼に依て、修礼は南部家横領したる者也。 伊豆は強胆にして、彼れの胆に抗する者なく、兵庫は能弁にして、彼れの口に抗する者なし。 若し彼が正当礼義に富たる者に候はゞ、疾に僧侶修礼は、死刑に処せらる可き無論なりと、 其当時世上の衆評に昇りたり。 又大老職北土佐預け高中屋敷取上げ蟄居隠居言渡、近習頭田鎖左膳石原汀、其他側用人、 各身帯家屋敷取上げ言渡したる際、盛岡の士民、之を称して、悪漢相喰む、 恰も獣畜相喰むに異ならずと評したる也。 而して金銭を以て売附たる新知行身帯取戻しの直命を下して、 不法にも家来席に加へたる者の身帯、一般に取上げ、利剛自ら直政を施行する旨を領内に公布して、 耕地に増高を付して、領高弐拾万石に数倍の増高を負せ、 高持地主を黒闇の中に起伏せしめたる也。 今日、之れ旧に対照するに、半に達らざる軽税を負担する国民の幸福、藩閥悪制度事実に徴して、 予は維新の恩典を遵奉す。

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