△利剛氏の父母四子出生の後生涯別居不通の理由 汝、今日明治文明の世途に在て、人倫の道理を知る能はざるや。 予に対する挙動に於て、人道を弁知の人と視倣能はず。 如何、汝、自ら隠蔵に附すると雖も、既往の実は、公衆の知る所也。 利剛氏の実父利済は、僧侶元俗に成り上り、楢山帯刀の妹を妻となす。 則利恭氏の実祖母、其名於礼津と云ふ。 利済、南部利用の死跡横領して大名諸侯に列席し、極楽の夢覚むるを知らず。 奢侈に遊興に長じ、終に淫蕩色慾に移り、多人の愛妾を置き、 加ふるに家中の娘若後家を御奉公と唱て、側に集め、大に玩弄して甚しきに至り。 夫妻恣に淫欲を争へ、夫人として貞操を破り、他人と姦通汚名を被り、 既に夫婦相別る。家屋新造広小路御殿と唱へる所に別居し、 夫婦相見る無く、一切の面接を断絶し、称号を御前様と唱ふるにも似合はず。 聞く所、貴夫人の挙動に非ずして、賤女の云ふ焼け酒とや。 飲酒に長じ、三味線大鼓常盤津清元江戸流の歌舞淫声の聞へ、 門前通行の者、耳にする。恰も妓楼に異ならざる醜声を外に為すたり。 利剛氏は、鉄五郎と称し、生母の側に婦女淫声の中に成長し、更に武文の道を知らず。 大に領内士民の批評を高め、鉄五郎、狼質の鬼人と云ふ。 其理由を聞くに、広小路屋敷に奉公の女中を、御手討と唱へ、殺害したる事ありと云。 亦奉公の少女に強姦して死没せしめ、再度人を殺すたるに、 人の恐怖して云ふにありと、予は聞く所也。 果して後日、利剛氏は、人命を甚だ軽きに置き、夥多の人を殺害したる事実は、 汝等、自ら知らるゝ所也。 若年より殺気を有し、狼質鬼人の名を得たるを知るべし。 |