佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

△大隈重信氏清和源氏の血統を望みたる之説
予は、世上の説を聞くに、大隈重信氏は、名将名家の系図を好む人なりと云ふにあり。 南部家は、清和源氏新羅三郎義光曾孫加賀見次郎遠光三男南部三郎光行、 文治五年以来、血脈連綿と信用して、大に被欺。故南部信濃守利済、家名相続以来、 清和源氏の血脈、全く断絶の理由を知らずして、大隈家相続令嬢に婿養子需たるは、 養父重信氏、望外に出たるものと、予は察する也。 大隈家婿養子英麿の実祖父に当る者は、元は修礼と云坊主なり。土地の者、彼れを指して、 天一坊と云ふ。当時大隈家の望は、世上の説の如き、実際清和源氏の血脈と信じて、 養子を望みたらんには、意外にも大隈家に於て、 恰も鶴種と信じて雁種を得たるものと云う可し。

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