佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

△南部利剛身命の大恩者陸尺長吉を惨刑す
南部美濃守利剛は、側用人下斗米深共に江戸大地震の難に遭遇し、 家屋圧倒の下に焼死極めたるに際し、陸尺長吉は、夜中煙火の中に入り探りて、 利剛を助けんと寝所と覚しき屋根打破りたれば、案に相違して、出現したる坊主に案内せしめ、 再び居間の屋根打破り、利剛は已に棟木の下に圧伏、半死の利剛引出し、 身の丈け五尺九寸の大力無双陸尺長吉は、之を助けて、自ら背負、火煙の中を凌ぎ去り、 駕籠に乗せて、片棒は門番の足軽に命じ、麻布市兵衛町下屋敷に遁れて、 利剛を救助し、即ち利剛身命救助受くる大恩者也。 此の如き恩に報ゆるに、門番花阪善之助を士分席に召出して、身帯を恩給せり。 然るに陸尺長吉を下部と卑下して、家来席に加へず。 何等一切の恩命を報へずして、一日三度の食物を与ふる而巳。 無給金にて飼馬同然の施行なる而巳ならず、 後年八月十五日、守衛か八幡宮神事の際、酒狂に乗じ、不計城内納戸部屋に立入り、 進物用の白紬拾疋、其実価七両弐歩盗取り、之を八幡宮境内能舞台の下たに隠し置きたるを発見し、 右の盗品取上げ、其罪処分に方り、利剛自ら之れを容れ、右陸尺長吉を老馬の鞍に縛り付、 刑名獄門の札を真先に建て、盛岡市中引廻しの上、刑法場に至り、討首獄門の惨刑に処し、 其首級を路傍に晒して、天下公衆の視目を穢したり。 万人、利剛の暴動憎まざる者無く、常に外に出れば、陸尺長吉が肩に労苦を譲り、 加之、大地震災に身命救助を蒙りしに、恩賞も報せずして、叛して陸尺長吉、行年二十八歳の 生首を討切て恩を仇を以て報酬したる南部利剛の至極惨忍なる、押て知るべき者也。 如何に卑賤の人種と云ながら、利剛に善行一切無之、汝は既往に譲り、 実を隠匿する者と雖も、大地震に付、家屋圧倒棟木の下に圧伏の苦痛は、生涯忘る能はざるを知る。 封建の世、窃盗の制、盗品の価値拾両に不満者は死刑に処断するを得ざるは、 其法律の制限也。然るに利剛は、役人に令して拾両の未満盗犯長吉を獄門したるは、不法也。

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