△世上南部家を信ずるは清和源氏血脈連綿を信じたり 南部家、往古より旧家来及旧領の土民は云に及はず、他邦の人は何等を以て、 南部家を敬信せしものと、汝等、之を知るや。 新羅三郎義光の血脈連綿を尊信したるものなり。 南部家曾祖は、上天に対し何の勲功を供したる者と知るや。 汝等の手元に秘蔵ある系譜に明記あり。予は目撃して今日、記憶に存する也。 抑も南部家の創業は、清和源氏新羅三郎義光の曾孫、加賀見之次郎遠光三男、甲州南部の住人、 南部三郎光行は、鎌倉に参降して、右大将源頼朝、 鶴ケ岡八幡宮参詣の供奉に加へられたるの故を以て、奥州糠部五郡の探題職に補せられたるは、 南部家創業の起因なり。 代々世々の武将に対しても、何等一切の勲功あるを聞かず。 我皇帝へ対し、北条高時共叛逆して藤沢に戦死したり。 又明治一新の際、逆賊朝敵たり。 再度城地領分被召上たる者にて、汝、世界万国公布の悪漢なり。 糠部五郡の探題職として、後年諸侯の列に加へられ、奥州十郡の領主たりしは、 南部氏の勲功に起因したる者に非ず。 事実源氏血脈に、恩賜之恩禄也。 然るに利剛氏には実父なり、利恭には実祖父なる、故南部信濃守利済は、庶人卑賤下郎の 人種にて、盛岡願教寺の小使坊主修礼と申たる悪漢なり。 事実盛岡は云ふに及ばず、旧領十郡内に於て掩ふ能はざるの事実にして、 全く清和源氏の血脈、断乎として利済の為めに断絶したる也。 其悪漢修礼は如何なる由緒を偽り、故造為したる起因を押徴すれば、 盛岡に在て伝を徴するに、前代南部信濃守利謹は、壮年にして発狂の上、 健亡症の病疾に罹り、国元に於て隠居願立、西ノ丸に住居せり。 利謹に一子無之、実父利視季子を以て家督相続し、南部大膳大夫利正と称し、 大膳大夫利正の死跡を遺子相続して、南部大膳大夫利敬と称せり。 此時修礼は、利謹の人種と偽り、徳川天一坊摸造して利正の死跡を継続為さんと謀ると雖も、 発狂者利謹の保護附役高橋与四郎と申、忠臣の老練、証明して利謹は狂気之上、 健忘症の疾病に罹り、男女同襟の生力なき証認ありし而巳ならず、 監護婦にて患者の穢物を扱ふ婦女の中に油売の妻淫婦、茶坊主と姦通しありしを、 屡々見咎めありしを以て、油売妻女の腹に妊娠したるは、 患者の人種に非ずして、素より良人情婦ある淫婦に付、多人、其実を知る者なり。 且患者は、苟も其当時拾万石の隠居なり。男女多人の附添あり。 倶に高橋与四郎は、正当の成蹟を説明し、為めに私生修礼、一門の席に加へられず、 母子失敗となり、故、利正の男慶次郎利敬は、父十万石の死跡相続して、 大膳大夫利敬と称し、弐拾万石高に昇進して、領民を保護し、上下の隆昌、 天下に達し、明君と称賛したる者也。 多年の後、利敬、病に罹り逝去、死跡を利用、相続して南部大膳大夫利用と称し、 此時再び修礼、不実血脈を唱へて相続を争ふと雖も、衆、之を容れず。 修礼は失敗せり。 然るに南部利用は、参府して政府へ家督披露相済たるや否や、急病に死没し、 国元に参着するも、城内に入らず、城門前を通過し、即ち松寿寺に着し、即時埋葬したるを、 諸人、大に怪み、加ふるに江戸表出発の前急死と云もあり。 既に江戸表出発道中に於て急死と云もあり、 士民に示し所一定ならず。 天一坊の姦賊毒手謀殺したる者と、専ら領内一般高評に昇り、然りと雖も、 姦賊威力を以て、大に修礼に勢力を与へ、利用の死跡を修礼相続して、 南部信濃守利済と称し、既に高橋与四郎死没の後たり。 利済は、仇を与四郎に報ゆるに、与四郎墳墓に刑名傍若無人と言渡し、獄屋を造り、 墓碑を檻禁し、次で与四郎が子孫の者へ傍若無人の子たるを以て、 身帯家屋敷御取上げ、雑人に引下げ、永掌申付ると言渡して、諸人に修礼の威力を示す。 実父茶坊主を牛滝に重追放の刑に処し、疾苦に害したり。 其故は父に非ずと実を掩ふ為め也。 穢物扱婦なる修礼の実母は、其当時四代前、故信濃守利謹の御部屋様と詐称して、 清教院様と称し奉るべしと、領内士民に布達し、大膳大夫利敬之室は、 芸州広島浅野家姫君にて、利敬長逝の後、孝寿院と称し、存命に有之候。 広島四拾弐万石浅野家より入嫁の故、室と同格之称号付し、 領内に公布せしむると雖も、士民に服従するものなく、老若共に油御前と云、是なり。 生前は西之丸隣地に清水御殿と唱へ、 生前の栄花、死没本葬式の花美なる、八角大輿に枕遺髪を納め、其式前後に目撃の覚えなき者也。 皆之れ、我々以下士民の生血に非ずして何ぞや。 利剛父信濃守の室は、利用の養女と公布せしは、無妻無妾亡人の養女を作り、 謀殺悪事を蔽ふの一手段にて、先代、養女の婿なりと云はしめんとす。 実は楢山帯刀の妹にて、逆賊長叛天誅に処せられたる楢山佐渡叔母にて、 則ち利剛氏の実母なる事、詳なり。 世代の短き利謹、利正、利敬、利用、利済、利侯、利剛、利恭八代は、文化年度より明治二年に 至る間に、八世の代替にて、短期の甚しき、終に南部家、源氏の血脈断絶したる、 掩ふべからざる事実也。 |