佐庄物語「旧盛岡藩華族南部氏兇悪大略」

今上皇帝陛下親しく列侯を玉座近く被為召、詔勅
朕、夙に天位を招き、今日天下一新の運に膺り、文武一途公儀を親裁す。 国威之立不立、蒼生之安不安は、朕が天職の尽不尽に有れば、日夜不安寝食甚心思を労す。 朕、不肖と雖も、列聖之余業、先帝之遺意を継述し、内は列藩万姓を撫安し、 外は国威を海外に耀さん事を欲す。 然るに徳川慶喜、不軌を謀り、天下解体、遂及騒擾、万民塗炭之苦に陥とす。 故朕、不得巳断然親征之議を決せり。 且、已に布告せし通り、外国交際も有之上は、将来之処置尤重大に付、 天下万姓之為に於ては、万里之波濤を凌ぎ、身を以て難苦に当り、誓て国威を海外に振張し、 祖宗先帝之神霊に対んと欲す。 汝列藩、朕が不逮を佐け、同心協力、其分を尽し、奮て国家の為に努力せよ。
 
同年二月三十日午の半刻、仏国公使レヲンロシュベニュス、船将ロワシュビレッキス、 船将ペテイトワーレ参朝、副総裁始め公卿諸侯及掛員列座
皇帝陛下、親しく勅曰「貴国帝王安全なるや。朕、之を喜悦す。 自今、両国之交際、益親睦永久不変を希望す」と詔せられ、 仏公使曰「天皇陛下、今日各国公使等に拝謁を賜ひしは、余仏国に対し玉ひて、 御厚意なる確証と仰ぎ奉る也。貴国の衆民に於ても、如斯高明なる証を知る上は、 即ち天皇陛下の尊き御宸意を遵奉すること、疑を容れざる所なり。 故に今日は、即後来に長く祈念すべき日にして、 貴国と各国と至誠の交誼を親しくする始なるを以て、余我国帝陛下に代り、 天皇陛下並に貴国の幸福盛美を祈り、深く神明の守護あらんことを奉願候」。
 
同年三月三日英国公使ハルリーパークス、書記ミットヰールド参朝
皇帝陛下、詔勅前の如し。英国公使曰「我本国帝陛下安全也。
天皇陛下御尋問の件々、且御懇親の勅意、余欣然として本国府に可通達也。 夫、外国交際の儀は、貴国御政体の立に随て、益堅固なるべく事にして、此節、 貴国に於て、全国一般の御政躰を被為立、万国の公法を基根と被為遊し、 故追々外国交際盛なるべき義必然と奉存候」。
皇帝陛下又詔勅「去る三十日貴公使参朝途中、不慮之儀出来、礼式延引遺憾之至に候。 今日改て参朝、満足に存候」。
英公使曰「先日参内の途中、暴発に出会ひし所、今日天皇陛下より難有御倫言を蒙り、 且其場に於ては、天皇陛下臣人の助力を受け、難有奉感、佩尚今日の厚き御待遇を以、 過日の不幸は奉忘除候」。右之通にて相済退出せり。
 
同年三月九日辰刻、太政官代え行幸被為在、御座の間え出御、玉座近く三職を被為召、 親く蝦夷地開拓之事件を御下問有之、一同大いに開拓可然之旨を言上す。 此儀相済て後、酒肴を賜ふ。
勅旨、先帝深厚之叡旨、御継述被為遊度至重之、宸慮被為在偏に寛洪を以、御国基を被為立度、 思食候処、兵革草卒に起り、不可言之勢に至り、内外御多難之砌、三職百官之輩、 奮発勉励之力により即今粗方相立ち候段、深く御満足候。 依之乍御酒肴を下し賜候間、各積日之苦労を可慰候、然りと雖も巣窟未だ平かず。 人心深憂懼を抱候得者、尚此上忠誠を尽し志を遠大に期し、皇威を振起し、 万民を安堵せしめ、宿昔之叡慮貫徹候様、御沙汰候事。

[次へ進んで下さい]  [前画面へ戻る]