幻の郷士・野尻左京 |
五、野尻左京と三ケ田堰開削 明暦三年八月、花輪へ転封となった毛馬内九左ェ門は、早速知行所上の郷一帯を巡視 した。坦々たる平地であるのに、開田されないまま報知されているこの段丘に目をつけ た九左ェ門は、この原野に用水を引き美田化することを考えた。調査さらて見ると、 沢水や小規模ながら熊沢川から水を引いて開田していることがわかった。九左ェ門は、 更に上流の夏井邑岩崎から用水路を開削することによって、大久保杉山は勿論のこと、 三ケ田から野尻に至る広大な畑地が、美田となることをつきとめた。 四粁に及ぶ用水路の開削は、大変な難工事であったが、この地方最大の豪族野尻左京 に命じ、さしもの大好事を完成させた。この事業は何時着工し、何時完成したか明らか でない。然し三ケ田村の絵図面に、九左ェ門に代って花輪館主となった中村伊織の百姓 の名が見られるところから、完成には延宝二年以後までかかったのではあるまいか。 三ケ田堰の開削によってこの地方は急速に開拓されていった。三ケ田堰開削に当 ったと思われる野尻左京も、この古絵図面に見られる通り、多くの開田を行い、更に強 大な豪族となった。 |