「鹿角」
 
△十 鹿角町村巡り
<毛馬内町>
 毛馬内青年会は、組織の歴史遠く、其の自発的活動は又見るべきものがある、しかも経営は 全く自治的であって、三名の幹事、十二名の協議員を以って、各種事業の施設に努めて居る、 研究部は自治問題を主とし、講演部は弁論の練習を為し、運動部は武道の鍛錬に熱心である外、 随時所謂名士を招致して講演会の開催を為して居る。
 
 由来毛馬内の地は、人物を排出すること多く、京都文科大学教授にして帝国唯一の支那学者 たる内藤湖南博士、日清戦役に際し軍事探偵志士として知られ、遂に囚はれて一命を皇国に殉じた 故石川伍一氏、令弟は日露戦役の時、朝霧艦長として驍勇を振ひし故石川壽次郎大佐、其令弟に 陸軍大学卒業し、野戦重砲兵第三聯隊長たる石川漣平大佐があり、其の令弟六郎氏は早大文科 卒業して国民新聞に聘せられ、いまや政治部長として広く其の名を知られて居る。
 
 青山芳得氏は日露戦役当時、富士水雷長として武勲あり海軍大佐に昇進、和井内貞行氏は実に 企業的人物に乏しい鹿角に於ける事業界の第一人、殊に十和田湖開拓の恩人として苦心惨澹 三十年、遂に初志を貫徹した氏の功績は、永久に十和田鱒の名と亡びないことであらう、明治 四十年緑綬褒章を下賜せられた。
 山本修太郎氏は現鹿角選出県会議員であり、少壮政治家として中央に於て嘱望されている。
 
 尚茲に特記したいことは、有名な鹿角の名物毛馬内の盆踊りである。郡内何れの町村に於ても、 盆踊りは太鼓を揃へて盛大に踊り楽しむのであるけれども、殊に毛馬内の夫れは艶麗典雅、優暢 な点に於て、絶て其の比を見ない所、仮装する者、盛装する者、皆尽し美、善尽し、幼老男女の 隔て無く、一団よく数百人、古代風の唄に、笛や太鼓を合はせ、手振り足なみを揃え躍る様、 人情美の自然発露とも云ふべきである、盆踊の奨励保全は、愛郷思想の涵養に極めて必要なこと ではあるまいか、曾つて来郡の奥平伯、小波山人等、極めて賞讃してやまなかったのも、此盆踊り であった。

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