「鹿角」
 
△十 鹿角町村巡り
<毛馬内町>
 毛馬内駅を北に十町進めば、毛馬内町に至る。
 郡南の花輪と相対して、郡北の中心都市とも云ふべく、商家軒を並べて活気漲り、恰も 郡内商業中心地とも見受けられのも、地理的に多く発展の要素を享有するからでなければ ならない。
 曾つて内藤湖南博士をして、毛馬内は小さき長野県なりと謂はしめた如く、毛馬内人には、 他に比して優越せる気質を伝統して居るらしくも思惟せられる。
 小林区署、郵便局、警察分署の所在地である。
 殊に鹿角自動車組合及十和田遊覧自動車の本部があって、郡の東西南北より十和田湖方面に 殆んど間断なく往復しつゝあるのである。
 
 当町は、郡内に於て最も農事の進歩著しき地方と云ふべく、米質の改善、多収穫 栽培等の研究は、主として 立山弟四郎氏 等の自覚せる地主によって、開発せられたのであった、
 殊に立山氏の如きは、卒先して明治四十二年一月、地主・小作人間の親善を期し、農事改良、 農家経済の発達を促すべく、小作人組合を組織し、往々紛糾の声を耳にする労資問題とも云ふ べき地主、小作人両者の関係を円満なからしめんとして、各般の施設を為して居るのである。
 即ち生産増加の方法として、模範田の設置、改良農法の指導、畑作の革新、模範園の設置、 堆肥改良、種子の配布、指導教師の設置、稲架材の補助、副業奨励として梨樹の栽培、養蚕 奨励として桑樹栽培、蔬菜の栽培を奨め、社会的施設として小作米の品評会、小作人の表彰、 救荒救済貯蓄、凶作救済等を以って、地主、小作人の融合を図り、風俗の改良、娯楽の改善、 休日の改正を為して、農村風紀を振興し、農家経済の向上を図って、混食奨励、収支家計の調査、 自作農奨励を為す外、 教化方面として女子農事講話、女子農事視察団の派遣、管外視察等の外、敬神、勤倹、 道徳観念の養成に尽して居ることは、以って他に模範たるに足ることであらう。
 
 尚立山氏は大正元年十一月、私立立山文庫を創設して、社会公衆の閲覧に供し、文化の作興に 大なる犠牲を惜しまれないことは、実に本郡、否本県としての誇りでなければならない。
 蔵書は、立山氏愛読の書を基礎に、年々新刊を増加して、和漢書四千五百部九千余冊、洋書は 九十余部百二十冊を蔵して居る、文庫設立の目的は、勿論地方改良に資するの外に出でないので あるけれど、年一年閲覧者を増加し、大正九年度に於て七千数百人に及んで居る、殊に本郡は、 郡立の図書館すらも有せざるを以って、之が恩恵に浴し難い地方に対し、特に巡回文庫九個を 準備して、郡内官公署、学校を中心として、閲読の便を計って居るのである。

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