「鹿角」
 
△十 鹿角町村巡り
 一、花輪町 二、尾去澤村 三、曙村 四、宮川村 五、柴平村 六、錦木村  七、毛馬内町 八、七瀧村 九、大湯村 十、小坂町
 
<花輪町>
 花輪町は、鹿角に於ける中心都市とも謂ふべく、郡役所、税務署、小林区署、警察署、 区裁判所出張所、郵便局等の諸官署、郡公会堂等の所在地であり、郡南一帯に於ける 商業取引の中心地である、毛馬内駅(現十和田南駅)より南方に二里、自動車、馬車、 人力車の便がある。
 大舘駅を分岐点とする秋田鉄道は、花輪町を終点として工事を進めつゝあり、大正十一 年中に開通する見込であると云へば、近き将来に於て、花輪・好摩間の鉄道開通、之と連絡 すべく、定めし町勢面目を改めて発展することであらう。
 
 花輪尋常高等小学校は、旧城の趾 にあり、土地高燥にして敷地広く、一望よく全郡を俯瞰し得る勝地である、此処の下に、 御大典紀念として建築せられたる郡公会堂は、町役場と相対立して居る、
 当町民にとって、唯一の遊覧地とも云ふべき櫻山公園は北舘にあり、眺望絶佳、中央 に櫻山神社を祭る、春は観桜、夏は納涼、秋は観月に良く、旗亭あって遊覧者の便に供 して居る、戊辰役に於ける招魂碑、征露戦死者の忠魂碑、町治功労者として 大里壽 、子弟教育の 功労者たる 川村左學 両翁の紀念碑等もたてられてる、
 
 安田銀行出張所、盛岡銀行、秋田銀行、京和銀行の支店は夫れぞれ商家・企業者の金融を 助け、淺利佐助氏の醤油、關善次郎、小田島治右衛門、田村定治、田村茂助諸氏の銘酒は、 各々芳醇の故を以って又有名である。
 苹果リンゴ、木通アケビ蔓細工、紫絞り、茜染、柳行李、マルメロ缶詰、甘ちこ等の特産物 がある。
 石木田呉服店は国定教科書、煙草、食塩の元売捌を兼ね、当主新太郎氏は現に本郡選出の 県会議員である。
 
 材木、火薬鉄砲、陶磁器、漆器、雑貨店としての石木田小太郎商店、内外雑貨卸売、洋桃、 マルメロ缶詰製造元としての田中商店等は、花輪商業界の白眉とも云ふべきであらう。
 花輪ホテル消失後は高瀬旅舘を主なるものとし、割烹店としては花輪倶楽部、廣川屋 等あり、医院は大里、柏田、浦井、石川、木村等あり、共に熱心にしかも親切に診察治療に 従事して居る。
 
 高屋部落は、苹果の副業栽培を以って他に知られ、三十五戸の部落にしてよく年々壱万円 近くの生産を挙げて居る。
 
 画家としての川口月嶺、檜山相馬大作事件の關良助、最近に於ては現拓殖局長川村竹治氏、 工学博士男爵石田八彌氏、彫刻家相川善一郎氏等は、当町の出身である。
 花輪小学校同窓会を分けて、男子部を青年団、女子部を修養会と名づけて、青年団に於ては 会誌部を設けて、郡内唯一の言論並びに通信機関たらしむべく新聞紙法に基き、"鹿角の青年" を発行して、所謂郷土文化発達の一端に資し、運動部、武道部は、夫れぞれに活躍して居る。
 殊に時折り名士を招聘して講演会を開催し、武道部は道場を新築して浦井三段、關初段の 先輩によって、熱心に稽古を励んで居る。
 
 花輪婦人会は、もと鹿角婦人会と称し明治二十一年、時の郡長小田島由義氏夫人ハツ子氏 等の主唱によりて創立せられ、毎月集合専ら女子の智識啓発に力めたのであったが、今は活動を 女子修養会にゆづり、基本金を保持して、時々講習会等を開き、実際的智能の増進を任務と して居る。
花輪越「上沼」からの展望

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]