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「鹿角」 |
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△十 鹿角町村巡り <大湯村> 諏訪氏は、進んで開墾組合の長となり、殆んど不眠不休の熱誠をもって、犠牲的に開墾事業に 奔走せられ、米味噌は頗る安価に必要者に供給し、移住者の生活を助けて居る。 作付は馬鈴薯、大小豆、甘藍、蕎麦、粟等の外、水利の便多きを以って、水田を作成して 試験すること二年、相当の収穫を得たので、漸次水田も増加する予定である。他の甘藍、馬鈴薯、 大小豆等の如きは、殊に成績良好である。 同国有林は現在の開墾地以外適地として三千町歩以上の大広袤を有すると云ふ、諏訪氏が 開墾当初の詩にこんなのがあった。 春光駘蕩草連空 近碧遥青望不窮 莫道荒村東北地 雪山万古待英雄 以て氏の抱負如何を知るべく、又氏の如きこそ、謂ふ所の英雄其人であらう。 鹿角製材株式会社は事務所を大湯に、事業工場を大湯国有林内に置き、大林区署より払下げて、 製材したる欅、楢、イタヤ、桂、山毛欅ブナ、其他雑木の良材を広く販売して居る、 小坂鉱山水力発電所は銚子、止り瀧、扇の岱、大湯等の四ケ所ありしも先年、扇の岱発電所は 消失して三ケ所となった。 本村は曙村と共に、鹿角に於ける馬産地であって、此事に就いては、諏訪富多氏及先代音治氏の 力に俟つ所、大なるものがある。 維新以前に於ける大湯は、鹿角に入る北部唯一の関門であった、嶮はしい山嶽の重畳して居る中にも、 来満峠と云ふのは有名である、秋田方面との交通絶えて無かった頃は、海産物の大多数は八戸地方から、 此の険阻を越えて入ったのであった。 無けれァよいもの来満峠 無けれァ八戸近くなる 音に聞こえし来満越えて 逢ひに来たのに帰へされうか 八戸の海辺から鹿角の山に身を売られ、三筋の糸の頼り無き女性の憂き思ひが、此短かい八戸節の 一章に犇々と哀愁を催して歇まない、又鹿角の一名物ではなからうか。 |