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「鹿角」 |
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△十 鹿角町村巡り <大湯村> 大湯村は鹿角の東北隅に位し、東は青森県三戸郡、西は七瀧村、毛馬内町に隣り、不老倉 鉱山の咽喉、十和田の通路たるの外、古来温泉あるによって有名であった。 殊に、十和田湖遊覧の客激増するに伴ひ、人馬の往来漸く頻繁となり、旅縦・商家の面目、 又一身したるは、名勝紹介、本郡開拓の上からも、極めて欣ぶべきでは無からうか。 宮川村産業組合経営者としての阿部藤助氏、毛馬内町に於ける立山文庫創設の立山弟四郎氏 の如く、本村には、大湯開発の恩人とも云ふべき、 諏訪富多氏 を有して居る、 氏は曾つて、東京帝国大学に哲学を研究した文学士で、一面に於て思想家であるが、一面 に於て企業家として得易すからぬ人材である、大湯温泉龜屋旅舘は氏の建てたる所、経営は 他に委ねて居るのであるが、更に十和田遊覧客の多数を宿泊せしむるに足らざるを慮り、 宏壮な大湯ホテルを新に建築中である、今年七月中には完成の予定である、 殊に氏は、数年前より温泉利用の、蔬菜速成栽培を建造し、技術者を招いて実地を研究し、 大いに発明する所あり、寒中に椎茸を出し、早春の葉菜、胡瓜、豌豆等は勿論、四時、様々の 速成をを試みて、旅客の食膳を賑はして居るのである、 新築のホテルには、側に完備せる温泉利用の温室を造り、温室植物花卉等を栽培して 旅客の労を犒ふことに努むる計画であると云ふ。 諏訪氏の事業として更に忘るべからざるものが一つある、そは七瀧村の章に於て概説した 如く、小坂鉱山煙毒被害が附近村落の人民の生活に脅威を与へ、財産を奪ひ、惨虐を たくましうして居るので、大正七年、是等被害区域民にして、到底生活に堪え難きものを 救済すべく、卒先主唱者となり、大湯国有林開墾の計画を樹立し、移住戸数約五十戸を得て、 同年七月五日初めて鍬入りを為して第一期事業として、一戸当三町歩を開墾し、合計 百五十町歩を開拓せんとしつゝあるのである、海抜一千余尺の深山にして、地味豊饒さながらに、 北海道の開墾地を髣髴せしむるものがある。 |