「鹿角」
 
△九 奥羽アルプスの奥秘境八幡平
<八幡平登り(附長沼公園)>
 フケの湯を上って、川と流るゝ湯の渓谷に入ると、まるで噴水のやうに熱湯を噴き揚げてある処や、 釜の底に暗黒な汁を湛えて秘密の蓋してある処が、いくつもいくつもあって、山肌は惨ましい程 荒されてある、立木も根こぎに無理矢理に地肌をはぎ取った絶壁こそは、花輪方面からでもよく 見えるフケの湯の目標である、その絶壁の馬脊のやうな処は、余程の急勾配をなして居るので、 初登山の人は、一寸怖気さすけれど、次第に楽になるのでホットする、然し稍々眺望の出来る 笹の海に入るまでは、大笹藪に手の甲を剃り切ったり、道に幾つも幾つも朽ち倒れて居る温古樹の 鹿柴に前脛を打ったりするのは、山霊の試練ぞと甘受してほしい、
 笹の海! 実際際涯なき笹原を以て覆はれたる、広漠たる八幡平を形容する詞としては、 この外にないのだ、若し夫れ、白雲低迷して浪打ち寄する笹原を包擁すると、全くの海だとしか 思はれない。
 
 約五千尺の地点に入ると、海は益々広くなって、勾配もほとんどない、まるて平野だ、この辺に 田代と云ふ神の手慰に出来た箱庭がある、道を挟んで池が二つ、一つの池には水葵のやうな草を 植え、一つの池には細藺に似たやうな草が植えられて、一草の雑りもない、古老はいふ、
 右は秋田領で、左は南部領だが、故に区別があるんだ、
と、神様に聞いて見たい気がする、池を周って按配された偃松、温古樹の枝ぶりなどを、革のやう 軟かな草の上にねころんで見て居ると、鶯の高音に誘はれて、恍として夢見る心地になる、
 
 五千三百二十二尺の三角点を真中にして、東西南北に温古樹と藪笹を切り払った大溝が 掘られてある、余りの平坦さに、測量に見通しが利かんので切り払ったさうな、樺太境界線 の林空も思ひやられる偉観である、
 低い温古樹をくゞりくゞり、急に陰気な湿地に下り行くと、俄然物凄い湖面に遭遇する、 噴火口に水を湛えたものらしい、摺鉢の底に、人を呪ふやうな青い水が暗く陥ち込んで光って居る、 蟇沼といふ、この附近の湿地にある神の試みられた例の奇しき小池の数々に興じつゝ、苔蒸して 小暗い石ころの小渓を潜行して下ると、忽焉として長沼公園の崇高静澄な一天地が現出する、
 
 あゝ長沼公園! 読むもの文字の奇に驚くであらうが、然し一度この風光に接したことのある人は、 誰でも筆者の情緒から生まれた、自然の呼び声であることを容して呉れるであらう、山がありったけの 親しみとやさしさを尽して其滑かな、なめし皮のやうな草をのべ、其草には一面に惜気もなく 白と黄との花をつけさせてをる間に、雪解の水を湛へた可成の長さを持った、くの字形の長沼が そっと置かれてある、さうして地面は緩い勾配をなして、所々に新しい花をつけ、果てしもなく 開展して行く、鶯の音も聞える、
 
 畚嶽モッコダケ(四七三一尺)、茶臼嶽(四七三四尺)、安比嶽(四三七四尺)、杣角山(四四八五尺)の 四山が遠くから、この光景に纏りをつけてくれて居るかのやうにそびえてゐると、岩手山は また時々姿を現はして、雄大な景を添へても呉れる。
 沼の西岸には、万古の雪が黒光りして残って居ると見れば、春の花咲いた草が、いつしか 秋ばんで見ゆるなど、春夏秋冬、四季の景を一時に見るこの公園の草場にね転んで、思ふ存分、 大自然の空気を呼吸して居ると、霊気身に染みて、無限の詩想油然として湧くを覚ゆる。

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