「鹿角」
 
△九 奥羽アルプスの奥秘境八幡平
<谷内から坂比平へ>
 谷内は大湯に次ぐ大村であって、八幡平に登仙する関門になってゐる、こゝからは歩一歩 と山肌我に迫って、羽化する身の頓に軽きを覚えて来る、
 永田発電所の水声を耳にする頃から、道はだらだら坂を右折する、行人往々左方の坦途を 真直に、瀧畑の渓谷に迷ひ込むことがあるから、道しるべに注意するがよい、永田の本村を 右に見て行くと、川の向岸に根瀬といふ小部落がある、曙村に入る捷径があるから、帰途 こゝから夜明島川沿岸の風光を称しながら松舘に出るのも一興であらう、
 永田発電所用水路の水門は、根瀬を上って間もない赤平部落の河岸にある、もう海抜 一千尺以上になって居る、川床の石ころが大きくなるに連れ、水勢が烈しくなって来る、
 
 次いで迎ふる蛇澤の部落を右に見て進めば、川を隔てゝ熊澤分校の白亜が見ゆる、 前方に風光たゞならぬ岩山が突兀として河流を圧してそゝり立ち、水声その岸に激するを 見るであらう、これぞ熊澤の不動岩として知られて居る名勝である、岩を砕いて道となし、 橋を渡して部落からの通路としてある、試に橋を渡って対岸から岩山を見上げると、小さい祠が 落ち込んだらしい巌窟の中に神寂びて見える、水底から一丈余もあらうかと思はれるやうな 真黒な巨石が、道に近く流れを堰き止めて頑張って居るのが目につく、神霊時に怒って豪雨を 降らす時、濁流この石を没して、橋脚のないこゝの橋をも流して了ふさうだ、恐しきは雨の 渓流である、
 
 道は少し坂路になったと、思ふ間もなく忽然前山を押しのけて、茫々たる広野の展開する 嬉しさ、もう既に八幡平の仙境に一歩足を踏み入れたのだ、吸い込まれさうな杉の緑り葉の 濃さを見ても、高草匂ふ道芝を見ても、真に人寰に遠くなった気がする、水声を脚底に 聞きなながら、平の八幡社を過ぎると、野は次第に末広くなって、湯坂森(二一七八尺)の裾に 及んで尽る、この辺一体は千三百余尺の高原であるから、八月の真夏に行って見ても、 野の下草は何となく黄ばんで、鳴く虫の音も秋めいて聞こえる、
 近年この末広の端近き真只中に、一軒の宿泊所が建てられてある、阿部藤助氏が「フケ」 の湯に行く旅客の便を計って建てられたのだ、広い二つの客間をぶっ通した縁先から前方を 見やると、雲の去来する鉾杉状の峻嶺を見るであらう、それは八幡平の一峰菰の森(三七七五尺) であって、蒸の湯はその蔭にかくれて、我等を待って居る、聞く、
 往昔、南部氏・秋田氏と鹿角を争ふや、常に岩手山の裾野から細野越に袰部ホロベの間道を通って、 こゝから左に当る深フカに出たものだ
と、蓋し盛岡に達する最短距離は、この一路であらう、
 
 川に向って右方の坂路を下り行くと、 坂比平の人家が五六、河岸の細長い水田や畑の間に人影もなく、静かに転々として居る、 途上の部落としてはこゝが一番の最後だと思ふと、何とはなしに淡い寂しみを感ずる、 道に沿ふた左方の小高い処に、硝子の中貫障子を建てめぐらした一屋のあるに、一寸驚異の目を 見張るであらう、これぞこの山に其人ありと知られて居る石井嘉一翁の棲家である、咲き乱るゝ 草花や見なれぬ高山植物を庭前に眺めながら、縁先きで、翁の経験談を聞くと、誰でも 感興しきりに湧いて、時の移るを忘るゝであらう、翁が渓澗から釣ったといふ大きな嘉魚イワナが 昼食の膳に上る、時折り道下から翁に会釈して行く人々は、年々来ては皆この山に親しい 湯治客なのである、若しも寂しい奥山に堪えないやうな人々は、翁の客間を借りて、 こゝから数町しか離れてゐない志張温泉に通ひ、湯治するもよい、「空気のよいせいか、 どんなものを食べても甘い」、深山住の翁は、年をとるのを忘れたらしい。

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