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「鹿角」 |
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△一 総説 位置と地勢 鹿角郡は、秋田県の東北隅に位置を占め居る陸中国の一部である、昔しは、豊岡郡 上津野、或は狭布の郡と称し、文治五年(1189)以降六百八十余年間の久しき世々、 南部氏の領する所であった。 東は巌手権二戸郡・青森県三戸郡に隣り、西は北秋田郡、南は八幡岱の高原を隔てゝ 仙北郡に続き、北は十和田湖の名勝を境にして青森県に接して居る。 地形南北に細長くして、四方繞らすに山をもってし、面積総て六十方里の中に、三町七ケ村 五万八千の蒼生が、平安の治世を謳歌して居るのである。 明治元年戊辰戦役の後、藩主は白石に転封せられたると同時に、眞田信濃守戸田丹波守の 取締る所となりしが、翌明治二年十月、黒羽クロバネ藩の治下となり、更に三戸県の管轄に移り、 明治三年二月江刺県に属し、花輪町に支庁を置き、二戸郡の一部をも兼治してあったが、 同五年三月秋田県の管下となって今日の鹿角郡となったのである。 四周悉く連山を以って囲まれ、丘陵内に起伏して平野極めて尠く、中にも東南北の三方は、 所謂本州脊梁山脈、分水嶺をなすものなるにより、深山幽谷、頗る多く米代川、熊沢川、 夜明島川、大湯川、小坂川等の諸川、皆此の中に発するのである。 米代川は源を柴内村に発し、巌手県二戸郡を経て、再び本郡に入り、宮川村に於て熊沢川、 曙村に於て夜明島川を併はせ、郡の西部を北流して錦木村に至り、方向を一転して西方 北秋田郡に向ひ、能代港にて日本海に入る。 北方十和田湖附近より発する大湯川及小坂鉱山の北方に発する小坂川は、共に合して錦木村 にて米代川に注ぎ、北秋田・山本二郡の平野を灌漑するのである。 山の最も高きを五の宮嶽と云ふ、海を抜くこと三千八百尺、中腹に登れば津軽富士を眺め得べく、 頂上に到れば遠く岩手山を仰ぐことが出来る。 鹿角郡を上津野と呼んだことは、三大実録に記されてもあり、古書に加都乃とも記るされて あるけれど、その昔、或人此五の宮嶽に登って四方を見おろした所、連山起伏のさまは、 恰も鹿の角の如くであったにより、爾後鹿角の文字を用ひた、と云ふことが云ひ伝へられて居る。 一天雲なく晴れ渡った夏の日には、遥か能代の海を眺めんとして登山する者が尠くはないのである。 |