「桑の實」
 
〔初め歌信ありし日に〕
つねはげし上の弟歌よみつ
  しげきこころにふれてうれしき

世の人は知らずなりとも歌にみる
  弟の素直はほめてあげなむ

木蓮のにほふ夜なりおもかげに
  立つ人恋ひて君は在さむ

木蓮の散りくる夕を酒くみて
  世界のうごき嘆きたまふや

御身の子の酒のむゆゑのかなしさを
  われに対していとしき弟は

をりをりに酒のむことはにくけきを
  弟なれば時にうべなふ

父のみの父をおもへば弟の
  酒のむことをいきどおりみし

五百首の歌を残せる汝に恥づ
  わがうたくづは数ならぬもの

しらべ高き汝が歌よろし
  曾祖父の歌の調に優りたりと思ふ

酒のめば心いづちにあそぶらむ
  弟の言ふははげしきことのみ

腕白のおもかげゆたに見ゆるなる
  汝がうつしゑ額にかけつつ

さびしさに耐へてぞあれと額中の
  汝がうつしゑに物言ふ日はも


〔兵営にて歌なきを嘆き来るに〕
去年の歌よみかえしつ、この頃は
  歌なき人はさびしからむと


〔弟、戦死の公報を聞く〕
戦死なれば今はたおもふ事もなし
  戦に死すと征きたる汝ぞ

敗戦を知らで逝きたる汝はよし
  かゞやく戦果おもひ逝きけむ

敗戦を知らで逝きたる汝はよしと
  せめておもはむせめておもはむ
             合掌

〔ありし日を想ひ出て〕
日本の本質知らずやと大言す
  酔える弟のかなしき顔かな

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