「桑の實」
 
〔祖母病み給ふ一日親しく見舞ふ〕
雨降るを雪消し降ると言へと言ふ
  祖母は老ひ給ふやすらぎのうちに

うつつなく吾名呼ばふと聞くときし
  老ひ給ふ祖母に手合はすわれは

幼き日我にもありしおほははの
  ねものがたりにすやすやとねし

白桃の白き花散るさ庭べに
  むしろをしきて我が午睡せし

徳利数十むしろに並べその一つ
  枕にしつつ我がねむるなり

酒盃のかげに宿せる凋落の
  かげをかなしみ飲みほしにけり

如何なればかくまで酒の乏し世ぞ
  白桃の花は散るとふものを

かくまでに酒の乏しき侘びし世を
  歎くなかれと言ふは誰が子ぞ

白桃をまがなしみつつ足らふ程
  静かに酌まん世を祷るかな

幾山河越えて来にける犬二匹
  吾が飼ひをれば愛しさ勝る

悲しきは世の定めぞと犬二匹
  我が引寄せて頬ずりするも

我が住まふ家を求めて犬と来し
  武蔵野原は露の繁きも

(都合により省略)

白きもの少しまじれるひげしごき
  酒断つべしと父宣り給ふ

額ぎは少し毛抜けて老ひ見ゆる
  狷介の子を待たす故にかも

[次へ進んで下さい]