5908男神と女神
 
                       参考:鹿角市発行「十和田の民俗」
 
 米代川の中流、米代川に大湯川・小坂川が合流した地点から2km程下流に、男神・女神の
小山がある。米代川の右岸の小山を男神、左岸の小山を女神と云う。
 ここは、米代川を両側から挟む形で地形が狭くなっており、ここが扇状的な鹿角盆地
の、扇の要を呈している。
 また、両側が狭まっていることを利用して、昔、八郎太郎がここを塞いで、鹿角を湖
にしようと試みた所でもある。
 したがって、川岸に道路を開設することが難しかった江戸時代以前は、左右の小山を
越えて往来していたのであった。

別掲「八郎太郎伝説」参照
[地図上の位置(男神と女神に挟まれた米代川)→]
  △男神様  男神様側の川岸は、その昔、船着き場(渡し場)であった。渡し綱を結わえる木釘を 打った大石があったと云う。木釘は、大水があると流出するので、ときどき、その大石 で木釘を打ち直す必要があったものと思われる。    昔の道路は、小高い男神様辺りを山越えするもので、交通の要衝、かつ難所であった。 崖の危険な個所には棚橋が掛けられ、交通の無事を祈願する、男神様が祀られている。  男神様の下流域には、白根金山(小真木鉱山)があり、上流域は鹿角盆地で、白根金 山を取り締まる盛岡藩の役所が置かれ、また金や銅を陸奥湾の野辺地湊へ運ぶ通路でも あり、江戸時代以前は、重用されていた。   △女神様  女神様のある小高い山も、鹿角街道としての重要な役割を果たしていた。  川岸は狭く通行には困難であったが、山越えしないで楽にに通れるため、危険を承知 で通ったものであったと云う。そのため、幾度となく、川に転落して遭難したのであっ た。その供養のため、小山には女神様が祀られている。    川岸の崖には、お地蔵様に似た、大きな岩があった。峠を越える人達は、このお地蔵 様に手を合わせ、通行の無事を願って、話しかけて通るのであった。  ところが、道路工事のため、このことを気にもとめずに発破で砕いたら、その人に不 幸があったとも云われている。    明治の頃は、渡し船は、よぶね沢にあったと云う。(松山)
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