5907土深井ドブカイの話(末広)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 「どんと深フケどこさ、貝ひとつ」、なんだ、「どふかい」、と言って昔の人は謎謎ナゾ
ナゾを作ったものでした。
 土深井と云う処は、昔から沼とか池などがいっぱいあって、その沼とか池などに、カ
ラス貝(ドブ貝)と云う貝が、いっぱい居たところから付いた名前です。
 貝の名前から土深井と云う名前になった珍しい名前の村ですが、昔は南部領(盛岡藩)
と秋田領(佐竹藩)との分かれ目であったので、喧嘩ケンカとか戦イクサなどがあった処です。
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 土深井集落の後背地、いわゆる鎮守の森である高梨子館には、土深井の稲荷神社と、
秋田領沢尻村の稲荷神社が、間に藩境線の浅い小沢を挟んで、ほぼ隣り合う形に建って
いる。
 それは江戸初期、両藩双方が互いに境界を押し合い、紛争が絶えないところ、村人達
が相談し、
「境の番を神様にお願いすれば無法な争いがなくなるだろう」
と、彼我の稲荷二社を並べて建てたと云う。
 
関連リンク 「領界を見守る神様たち」
関連リンク 「その他神社の碑文[月下の神信仰](稲荷神社・駒形神社)」
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