5704アヤメ沢の怪談カイダン(尾去沢)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 尾去沢鉱山が盛んであった頃にあった話です。
 笹小屋ササゴヤの鉱山道場の脇から、鉱山へ行く急な坂道のことを「ヨロケ坂」と云っ
て、鉱山へ稼ぎに行く人達は、みんな難儀して登って行ったものです。
 この坂道の途中に、立派な鉱山病院があって、此処ココから二百米ばかり行った処を少
し曲がれば、小さい橋が架かっていて、ヒバの垣カキをしてある処から中沢へ行く別れ道
がありました。
 沢水が流れているこの沢を、アヤメ沢と云うのだそうです。また、別にクビッコ沢と
も云いました。
 「危アヤめる」といえば、人を殺すと云うような意味もあるそうだが、昔、この沢で罪
人が首を斬られた処であるので、そう呼ばれたそうです。
 また、アヤメ沢と云うように、この沢に谷地アヤメも綺麗キレイに咲いたのだそうです。
 
〈その一〉
 ところで、大正の末頃のことですが、石切沢イシキリザワの鈴木某の親父オヤジが魚釣りの大
好きな人で、鉱山から帰って来ればすぐ、米代川へ釣りに行くのでした。
 ある日、何時イツものように、川へ行って魚釣りして家へ戻って来ましたが、どうも何
時もと様子が違っていて、見れば顔色が青ざめて黙っており、何時もと違って暫くして
から晩酌バンシャくを飲み出して、ボツボツと話を始めました。
 「実は、今来る途中、アヤメ沢の橋を渡って間もなくしたら、青白い若い美女オナゴが
蛇の目傘を差して立っていたので、除ヨけて通り過ぎたけれども、何としても不思議なの
で後ろを振り向いて見たら、妖アヤしげな綺麗な面ツラでニッコリ笑って見られた。その怖
ろしかった事、背筋が縮まるような思いの気味悪さで、必死になって橋って家に戻って
来た」
と家の人に言って教えました。
 
〈その二〉
 夏のある日、石切沢の菅原某と高橋某が米代川へ鰍カジカの夜突きヨヅキに行って、夜明
前の三時頃に戻って、ヨロケ坂を登ってアヤメ沢の処に来たら、中沢の上の方から大き
な火の玉がゴロン、ゴロンと転がって来ました。 そこで、若者で血気旺盛な二人は、
火の玉を追い掛けたが、幾ら追い掛けても近付けませんでした。それでも諦アキラめきれな
いので、大きく曲がる道の処に来たら、急に火の玉がプーッと消えて無くなりました。
その瞬間、面色ツライロが青白で腰から下の無い男一人が現れました。
 流石サスガに元気な二人も一瞬、棒立ちになってしまって、あまり気味悪いので、後ろ
も見ないで逃げて帰ったそうです。
 
〈その三〉
 ある夏の晩バンゲ、十時過ぎのことでした。製錬セイレンの現場で鉱夫コウフが火傷ヤケドをし
て、病院に運ばれて来ました。
 この鉱夫は凄スゴく青ざめて震えているので、医者が、
「この位の火傷で震える奴ヤツがあるか」
と気合いを入れました。ところが、
「実は今、運ばれて来るとき、アヤメ沢の処に気味悪い女オナゴが一人立っていて、俺の
ことをジィーッと見ていたので、それを思い出して震えているのだ」
と言ったそうです。
 医者は大した火傷でもないので、手当が終わってから現場に帰るように指示したが、
どうしても、
「アヤメ沢の処、怖ろしい」
と言って行かないと言うので、鉱山に連絡して、特別に警戒夫ケイカイフ二人出して貰って、
製錬現場まで届けたそうです。
 
付言
 子供達は親からアヤメ沢の話を聞かされていましたので、学校に通う子供達にとって
は、怖ろしい処で、学校の行き帰りの時は、鞄カバンの中に石ころを入れて、化け物が出
ないように、薮ヤブにみんなで石を投げながら通ったものです。

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