5599来満街道
 
                参考:鹿角市史編さん委員会発行「ふるさと散歩」
 
 来満街道は旧藩時代、鹿角と三戸サンノヘを結ぶ天下の公道でした。幾度となく幕府巡見
使ジュンケンシが通り、領内巡察の盛岡藩主の行列がこの峠を越えました。また尾去沢御銅山
から野辺地ノヘジ湊へ長崎御用銅を運ぶ駄送路でもありました。
 大湯を出て、阿久谷川アクヤガワの谷を遡サカノボり、上折戸カミオリトから登り一方の山坂へか
かります。柳平から大明神までの半里余を、旧道独特の深く凹クボんだうど道が壁坂、畜
生坂、座当ザトウ戻し、マタギウトウと、鬱蒼ウッソウたる木立ちの中を長々と続きます。
 大明神には、道の上に石造りの古祠コシが祀られ、北奥路程記に「此所に鉢巻と云処有。
山の上腰を廻りて鉢巻したる様成ヨウナル道なり。山の峠に明神の社ヤシロあり。此処より山下
ヤマシタ折戸毛馬内町の辺眼下に見ゆる。巡見使の節此処に茶屋掛る所也」とあり、小柴峠
コシバトウゲにかかる辺りは右も左も絶急の谷で、馬オトシと云う場所から当歳の牡馬を追
い落とし深山に遺棄イキした、と伝えられます。
 大柴峠は、「此処より岩鷲山并ナラビニ津軽岩城山ミゆる。此処来満山中の峠と云へき所
なり。山中路辺谷底を見下ス所もあり」(前掲書)、かつて駕籠を休めた駕籠立て場も、
はっきり跡をとどめています。
 
 此処から道は緩く下り、角ばった小石の散らばる石名坂イシナザカを越えると、センノ木
平タイ、横渡りと云う尾根伝い道の北側に見事な展望が広がり、遠くに十和利山トワリヤマや十
和田高原、足下に河島沢カジマサワの奧金山沢を見下ろすことが出来ます。
 やがてブナ林へ入り、木立ちの中の急斜面に幾通りにも小径コミチの付いた大登りの難所
を下り、朝繋アサツナギの沢に出ます。此処は街道に多い繋地名の一例でしょうか。与須毛
堂森ヨスケドモリや犬吠森イヌボエモリのよく見える台地を越え、尻喰坂シリクイサカの急坂キュウハンを下っ
て漸く山中宿ヤマナカシュク跡へ着きます。
 
[地図上の位置(上折戸付近)→]
 
県境(青森県側) 来満峠 あそこに見えるのが県境です(青森県田子町側)。 多くの人々や物資が峠を越えて往来したと云います。 しかし、左多六は峠を越えて帰れませんでした。 みろくの滝 その近くを流れ落ちる「みろくの滝」 [地図上の位置(みろくの滝)→]
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