12 鎌倉末期の磨崖仏と板碑(谷内)
 
        参考:八幡平地区連合青年会発行「むらのいぶき(八幡平の民俗)」
 
 通称神明社の境内にある旧墓地跡の、自然に露出している大きな岩膚に、線刻した鎌
倉末の磨崖仏や、秋田県内最古と見られる板碑(供養の石碑)が相次いで発見された。
 この貴重な石造遺物は、神社境内の右側に向かって位置している。磨崖仏は高さ七米、
幅六米の凝灰岩質の自然石に線刻され、真中に1米大の阿弥陀如来、右に観音像を意味
する梵字、左に勢至を象徴する梵字を配した、いわゆる弥陀三尊である。
 磨崖仏は、関東、関西の各地方、東北地方では福島、宮城に多く県内に幾つかあるが、
県内の磨崖仏の大半は江戸期の作で、鎌倉期のものはなく、この弥陀三尊は本州最北端
の存在とも言われる。
 板碑は何れも上部に仏像の代用ともいうべき梵字を刻み、下に供養の言葉がある。
 そのうち二基は、
 正安二年
 正和二年
と文言が読み取られ、残る一基は、
 正安三年
と読み取れるが定かでない。
 
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