0803 道筋探訪「毛馬内」
毛馬内町は、慶長十二年(1607)以来新たに町割りして作り上げた市町で、東台上に
築かれた柏崎館は明暦三年(1657)より南部氏重臣桜庭氏の御預り館となり、二の丸に
毛馬内通代官所や御蔵が置かれた。二の丸、三の丸、古町には桜庭家中屋敷があった。
広増寺(真言宗、承応三年、今は廃寺)も古町にあり、その北大湯道を隔てて仁叟寺
(曹洞宗、明暦三年)が広い境内を占めている。
本丸の真下は城の下、北へ下小路が続き、小坂濁川道が通じている。
商家の多く立ち並ぶ本町通り上町、中町、下町から御山見町が延び、西端には本光院
(日蓮宗、正保三年)と道を隔てて月山神社里宮がある。
下町の北側に善徳寺(浄土宗、寛永五年)、南側に常照寺(浄土真宗、年代不明)が
建っている。
中町から南へ折れて横丁、萱町、十五人御同心丁と続き、御同心丁に誓願寺がある。
来満街道は、毛馬内町の南端御同心丁から萱町、横丁を辿り、右折して本町通りを中
町、上町と真っ直ぐに進む。突き当たりの御制札場前を左へ折れ、下小路を現国道282号
線と重なりながら仁叟寺山門手前まで進み、砂派への角を曲がる。砂派即ち仁叟寺横を
抜けて、寺の沢の坂を登り詰めると、毛馬内東部から大湯腰廻の上へかけて大きく広が
る台地へ出る。
道筋はこの上野と呼ばれる広々とした台上を大湯へ向かうので、大湯道と呼び慣わさ
れていた。寺の坂を上って間もなく大湯道と、右へ分かれて三の丸、二の丸へ向かう道
との三叉路へ差し掛かる。三叉路の中央に柳の木が一本あって、その根元に大青面金剛
碑(元文五年)、庚申供養碑(宝暦十四年)、庚申(年代不明)の三基が建てられてい
る。
△誓願寺
誓願寺は浄土宗直至山と号し、盛岡大泉寺末である。元和元年(1615)白根金山に開
山されたが、金山の衰頽により享保十年(1725)曹洞庵寺域の現在地に移った。境内の
観音堂には秘仏千手観音像が安置され、鹿角市指定有形文化財である。明治二十六年(
1893)堂修理の際、勧進趣意書に「そもそも白根山千手観世音菩薩一体、御丈六尺、勝
女の勧請」云々とある如く、金山金場の水仕女であった勝女が、山ノ目小平次等の寄進
を得て、元禄五年(1693)に勧請したもので、中央仏師の入念な手法が施されている。
△下町三カ寺
常照寺は浄土真宗心光山と号し、盛岡本誓寺末である。境内には月山神社のもと本地
仏虚空蔵菩薩像(鹿角市指定有形文化財)が安置されている。この本像は盛岡永福寺奉
納の像高8.5p、台座光背共25.5pで木瓜厨子に納められ、月山神社の別当寺であった広
増寺廃寺の後に移されたものである。
本光院は日蓮宗、三戸妙光寺末で、伊勢屋山本家の菩提寺として、正保三年(1646)
の創建である。山本氏は三戸より移って、白根金山の経営に力を尽くし、かつ商家伊勢
屋として手広く活動した。毛馬内恩給人として高一五〇石余、新田開発や米代川除普請
などに尽くした。
善徳寺は浄土宗根福山又は無量山と号し、寛永五年(1628)の開山である。所伝の十
王木像は鎌倉様式をとどめる作風と云われ、そのうち閻魔像は奈良白毫寺のものに比肩
されると云う。
△仁叟寺
仁叟寺は曹洞宗凱翁山と号し、閉伊郡千徳村善勝寺末である。桜庭氏菩提寺として、
明暦三年(1657)同氏の毛馬内入部と共に大円寺跡の現在地に移った。現存の山門の薬
医門の主柱二本及び梁二本は、慶長年間(1596〜1615)廃城となった当摩館搦手門のも
のを使用した古いものである。鐘楼は宝永元年(1704)の建立である。街道に面した参
道入口脇に、供養塔が三基立っている。
△毛馬内市日
街道筋の本町・中町・下町には、藩政期から現在に至るまで市が立てられ、第二次世界
大戦の前までは三斎市であったが、戦後六斎市(二・七の日)に変わった。この通りは御
町と称され、両側の商家は雪国特有の小店(雁木ガンギ)造りで、今も所々にその面影を
留めている。市日には近郷の農村などから「町遣いマチヅカイ」の人々が集まり、大いに賑
わっている。
△月山神社
月山神社はもと秋田県社で、毛馬内の西方毛馬内沢の山腹に鎮座し、大同二年(807)
に坂上田村麿が戦勝祈願のため勧請したと云う縁起を伝えている。寛政七年(1795)に
造営された三百余段の石段と、社殿の奥に置かれた幣殿を鞘堂とする流れ造りの本殿の
結構は、古社の格式を十分に窺わせている。拝殿に掲げられた安政三年(1856)奉納の
小倉百人一首を始め、約三十点に及ぶ献額・大絵馬・小絵馬は見事である。なお本殿は、
元文五年(1740)建立と推定される。
△柏崎館
柏崎館は、慶長十二年(1607)藩主南部利直の指示によって築造されたと伝えられ、
本丸、二の丸、三の丸の規模をよく残している。各郭は、傾斜面と空堀により区切られ
ているが、二の丸と三の丸の間の空堀は埋め立てられて僅かに舛形を残すのみである。
本丸に桜庭氏御田屋、二の丸に毛馬内通代官所、御蔵、奉行役宅、家中屋敷、三の丸と
館坂にかけて家中屋敷が並んでいた。現在二の丸堀切沢寄りに、内藤湖南旧宅蒼龍窟が
ある。
△古町通り
古町通りは毛馬内字柏崎、字古下で、大手口館坂下から仁叟寺脇寺ノ坂に至る250m程
の直線の通りで、左右共ヒバの厚い生け垣を連ね、桜庭家中屋敷としての旧態をよく保
っている。館坂側から折れて左に「藩儒泉沢履斉先生誕生地」の碑と「史跡相馬大作潜
伏の地」の標柱がある。その向かいが立山文庫継承鹿角市立図書館で、文庫創設者立山
弟四郎翁の胸像が立っている。その隣地の和井内屋敷には「和井内貞行翁誕生之地」記
念碑が、肖像の浮き彫りレリーフをはめ込んで置かれている。道を隔て「鹿角縁起著伊藤為
憲先生・学統継承者伊藤良三先生誕生地」の碑と「鹿角最古の武家屋敷、宝暦元年伊藤家
五代喜三右衛門建立」の標柱が立っている。東側山手に「玉崎山金光寺・月山広増寺廃寺
跡」がある。
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