0802 道筋探訪「松の木(室田)」
 
 旧室田村の通称松の木が、来満街道と鹿角街道の分岐する地点(追分)である。この
追分は、駒形神社(旧金勢堂)脇を米代川沿いに下も手の田地へ出て古川へ、堂の西側
舟渡し場から神田シンタ・松山を経て秋田領へ、堂前を南へ上って花輪へと、三方に道を分
けていた。
 旧街道は、金勢堂脇を下の田地へ下り、一旦東北自動車道の西を川寄りに辿ってから、
右へ大きく廻って一段高みにある錦木塚の横手に出る。この間の道筋は、途中六字名号
碑(享保十八年)や鹿角三十三番札所安楽院跡を見ることも出来たが、同道工事のため
消滅してしまった。
 
 錦木塚を含む旧古川村一帯は、後拾遺集始め平安時代以来の和歌集によく歌い込まれ
た「錦木」「けふの細布」の歌枕の地であり、比翼塚(夫婦塚)の伝説の地である。幕
府巡見使通行の際は、ここに休憩所を設けて、古川黒沢氏より錦木塚の由来を申し上げ
て細布を献上するのが慣例であった。天保九年(1838)巡見時の錦木御茶屋の規模は、
「三間に壱間半板敷笹板屋根芳簀囲軒下杉葉ニ而菱結」との記録も見える。
 今錦木塚公園に立てられている有無縁供養塔(享保十六年)は、もと西下の旧道傍に
あったもので、道標石を兼ねており、左側面に「左けまない道」、右側面に「右にしき
木」と刻んでいる。
 
 塚を出て、稲荷神社前、JR花輪線十和田南駅入口の少し北で現国道103号線と重なり、
古川の村を左右に見ながら、大湯川に架かる古川橋を渡る。
 大湯川の右岸に出て、道筋をしばらく川沿いの田道を下ってから陣場の高みに上り、
寄熊川の小流を越えて毛馬内町に入る。その低地の田道は、既に消滅している。
 
△錦木塚
 錦木塚とは、細布を織る美女の門に錦木を立てること千夜に及んでもなお取り入れら
れず、世を儚んで死んだ若者と、その跡を慕った美女の比翼塚である。
 この歌枕の名所に伝わる錦木伝説の女主人公ヒロインは、初めは近くの村の老農夫が養い
育てた名もないみめ美しき乙女であったが、延享二年(1745)羽州新庄の浪人安保権之
助親行によって「錦木山観音寺縁起」がもたらされて以来、成務天皇之御宇当国の郡司
として下向した大己貴命の苗裔狭名大夫の、八代の後胤大海の女政子姫と云うことに替
わり、現在でもその物語で人口に膾炙しているのである。
 塚の側の生えていた銀杏の巨樹は、今は切り株を残すだけで、錦木塚祭りの八月七日
の頃は、その株元に鬼百合が赤い花を沢山着けて、当時の美女を偲ばせてくれる。
 
 塚と隣り合う稲荷神社は、もと十一面観音堂で、政子姫の守り本尊を祭ったとの伝え
がある。
 古川黒沢家に伝来する細布機織具と細布一巻は、鹿角市指定有形民俗文化財である。
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