一一、結論
如上の記述で、私の言わんと欲する所は已に大略述べつくしたと思われるから、改め
て結論にも及ばないと考えられるが、唯一層所見を明確に発表せんがために蛇足ながら
むすびを添える次第である。
前記第六、第七節の記事に徴すれば、鹿角は山間僻陬の地ながら、地勢、鉱産等の関
係上、古代文化との交渉は割合に見るべきものがあるかとおもう。私が言わんとする所
は、「続日本紀」所載の「始貢黄金」小田郡が宮城県遠田郡涌谷村にあらずして、秋田
県鹿角郡尾去沢村小田郡及びその附近の地であるとの考証である。宮城県金華山説は取
るに足らない。涌谷村説の如きは、遠田郡からわずかに古への小田郡を推定し、辛うじ
て黄金迫を発見したに過ぎない。文化年中の沖氏「黄金山神社考」は、「延喜式」所載
の同神社に附会したもので、その説に一歩を譲っても、涌谷が「始貢黄金」地でありと
するのは、甚だしい牽強ではあるまいか。況や、同所に曾て金鉱或は砂金出鉱の事実あ
りや。又その所伝は如何。たとえ所伝ありとも金華山説の如く鉱脈のないところでは、
問題にならない。私は不幸寡聞の為涌谷村の所伝を知らず、且つ又調査の十分でない関
係から、この論文に未定稿と冠した次第でもある。他日涌谷村の実蹟を調査して、更に
的確なる考証論断を試みることとする。又、本稿は敢えて涌谷村の黄金山神社を式内神
社でないという考証を試みることが主眼ではない。何となれば本稿に於いては、それは
第二義或は第三義であるからである。たゞ黄金という名に縁あるを以て同所の神社が式
内神社と考証するならば、金鉱採掘に縁ある鉱山内の山神社の方が、黄金山神社という
名称には実質的にふさわしいではないか。今私は、第九節に述べた小田郡推定の二岐路
こそ決定していないが、何れにしても尾去沢の小田郡をもって、「始貢黄金」地と考え
る論旨には矛盾しない。私の「黄金山神社考」は追って研究の武歩を進めることとして、
茲には単に考証の主要点だけを述べた次第である。「万葉集古義」所載の、早池峰山説
の如きは取るに足らぬ、寧ろ、尾去沢の誤伝とした方が首肯される。尾去沢は元来金鉱
であったのが、上層を掘り尽くして下層から銅鉱を発見したと言われるが、同鉱山の採
掘課応接室の陳列棚を覗けば、各種の鉱石が発掘されることがうなずかれる。これを尾
去沢の獅子王権現(怪光並に怪鳥)の伝説と正に一致するもので、伝説もまた面白い中
に、有難味のふくまれれるものであることがわかる。尾去沢及び附近の鉱山の鉱石発見
の伝説は数多くあり、参考にすべき価値あるものも少なくないが、茲には必要もないか
ら凡て割愛する。
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