02 鹿角歴史年表(青字は『白鳥伝説』による)
参考:「鹿角市史」ほか
年号(西暦) 事 項(△印は鹿角関係事項)
原始時代 縄文時代早期
(BC5000) △大地平遺跡(赤御堂式土器片など出土)
上葛岡遺跡(同上)
〃(BC3500) 縄文時代前期
△清水向遺跡(住居跡、吹浦式土器出土)
上山田遺跡(円筒下層d式土器出土)
〃(BC2500) 縄文時代中期
△黒森山麓竪穴住居跡・天戸森遺跡(大木式土器など出土)
〃(BC1800) 縄文時代後期
△大湯環状列石
高屋館跡遺跡(環状列石)
〃(BC800) 縄文時代晩期
△尾去東在家遺跡・玉内遺跡(亀ケ岡式土器など出土)
前300頃 北九州に弥生文化が成立する。
〃(BC300) 弥生時代(続縄文時代)
△湯瀬遺跡ほか
前100頃 弥生文化が関東地方にまで波及する。
前108 〔前漢の武帝が朝鮮半島に楽浪などの四郡を置く〕
紀元前後 この頃倭人は百余国に分立していた。
57 倭の奴国王が後漢に朝貢して光武帝から印綬をうける。
184 この頃倭国は大いに乱れ、邪馬台国の卑弥呼を共立して王とする。
204 〔楽浪郡の南に帯方郡が置かれる〕
220 〔後漢が滅びて、魂・呉・蜀の三国時代が始まる〕
238 〔魏が楽浪、帯方の二郡を領有する〕
239 卑弥呼が使いを帯方郡と魏へ派遣し朝貢する。
248 この頃卑弥呼が没し、壱与が女王となる。
265 〔魏が滅び、西晋が起こる〕
266 女王壱与が使いを西晋に送り、朝貢する。
280 〔呉が滅び、西晋が中国を統一する〕
3世紀 この頃から前方後円墳が築かれ始める。(古墳時代)
313 〔高句麗が楽浪郡を併合し、帯方郡も滅ばす〕
316 〔西晋が滅び、五胡十六国時代が始まる〕
317 〔東晋が起こる〕
346 〔百済が建国する〕
356 〔新羅が建国する〕
369 倭軍が新羅を攻め、比自体(火偏+本)(ひしほ)など七国四邑を平定する。
古墳時代 3世紀末〜7世紀
△枯草坂古墳・三光塚古墳
以上「鹿角の時は流れ行く」参照
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紀元前3世紀〜 津軽平野まで水田稲作が広がる
紀元4世紀 会津大塚山古墳、大安場古墳、雷神山古墳など
東北北部に続縄文文化(後半段階)が広がる、能代市寒川U遺跡など
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崇神天皇の御世 △四道将軍を派遣
「四道将軍」
仁徳天皇五十五年(367頃)△田道将軍、蝦夷エミシの為に敗られて、伊寺水門イシノミナトに死
ミマカリぬ(『日本書紀』巻十一仁徳天皇の条)
猿賀さま・田道将軍(錦木)
372 百済の肖古王が倭王に七支刀を献上する。
391 倭軍が朝鮮半島に渡って百済、新羅を破り、臣民とする。
〔高句麗の好大王(広開土王)が即位する〕
400 高句麗が新羅を救援し、倭軍は撃退される。
404 倭軍が帯方の地に出兵して高句麗と戦い、破れる。
420 〔東晋が滅び、宋が起こる〕
この間、応神天皇陵、仁徳天皇陵が築かれる。
478 倭武王(雄略天皇)が宋に上表文を送る。
この頃から九州に装飾古墳が造られ始める。
512 百済の要請により任那の四県を割譲する。
継体天皇善記二(523頃)△大日堂(長牛・小豆沢)創建
「善記(逸年号)」
継体21(527) 筑紫国造磐井が新羅と通じて乱を起こす。
継体22(528) 物部麁鹿火が磐井を斬り殺す。
欽明13(552) 百済の聖明王が仏像と経論を献上、仏教が伝わる。一説に五三八年
(宣化三年)。
欽明23(562) 任那の日本府が新羅に滅ぼされる。
敏達10(581) 蝦夷が辺境で反乱を起こす。その首長綾糟らが朝廷に服する。
用明2(587) 蘇我馬子が厩戸皇子(聖徳太子)らとともに物部守屋を滅ばす。
崇峻2(589) 〔惰が中国を統一する〕
推古元(593) 四月、聖徳太子が摂政となる。
この年、四天王寺を難波に造る。
推古8(600) この年、隋に使いを遣わす(初めての遣隋使)。
推古15(607) 七月、小野妹子らを隋に派遣する。
推古26(618) 〔隋が滅び、唐が起こる〕
舒明9(637) この年、蝦夷が反乱し、上毛野形名を将軍として討伐する。
大化元(645) 六月、中大兄皇子が中臣鎌足らと謀って蘇我入鹿を誅する。大化の改
新が始まる。
この年、道奥国が置かれる。
大化元(645) 大化改新始まる、東国国司が派遣される
大化3(647) この年、越国に渟足柵が造られ、柵戸を置いて蝦夷に備える。
大化3(647) 渟足柵を置く、翌年に磐舟柵を置く
大化4(648) この年、越国に磐舟柵が設けられ、越後、信濃の民が移住して柵戸と
なる。
この頃 評・国が設定され、陸奥国が置かれる
斉明朝(658) 阿倍比羅夫、船師を率いて鰐田・渟代の蝦夷を征す
△その頃には、鹿角には蝦夷エミシと呼ばれる人々が生活していた。
斉明4(658) 四月、阿倍比羅夫が一八〇艘の船団を率いて、蝦夷、粛慎を討つ。
斉明5(659) 三月、阿倍比羅夫が津軽、秋田などの蝦夷を討ち、後方羊蹄(しりへ
し)に政所を置く。
斉明朝(659) 遣唐使、蝦夷を中国に帯同する
斉明6(660) 三月、阿倍比羅夫が粛惧を討つ。
天智2(663) 八月、日本・百済軍が白村江で唐・新羅の連合軍と戦って放れ、百済
は滅びる。
天智7(668) 〔高句麗が唐・新羅の軍と戦って敗れ、滅びる〕
天武元(672) 六月、大海人皇子が軍を率いて近江に向かい、壬申の乱が始まる。
大宝元(701) 八月、大宝律令ができる。
大宝元(701) 大宝律令制定、律令国家始まる
和銅元(708) 九月、越後国に出羽郡が置かれる。
和銅元(708) 越後国に出羽郡を建てる
和銅2(709) 陸奥鎮東将軍・征越後蝦夷将軍任命される
和銅2(709) 三月、巨勢麻呂、佐伯石湯が将軍となり、遠江、駿河などの民を徴発
して、越後・陸奥の蝦夷を討つ。七月、諸国の兵器が出羽柵に運はれる。
和銅3(710) 三月、都が平城京に遷される。
和銅5(712) 一月、太安万侶が『古事記山を撰上する。九月、越後国出羽郡をさい
て出羽国が置かれる。
和銅5(712) 出羽国を置く。陸奥国より最上・置賜二郡を削く
和銅6(713) 五月、諸国に「風土記」の撰上が命じられる。
和銅7(714) 一〇月、尾張、上野、信濃、越後の民二〇〇戸が出羽柵に移住して柵
戸となる。
霊亀元(715) 五月、相模、上総、常陸、上野、武蔵、下野の富民一〇〇〇戸が陸奥
国に移住する。
霊亀2(716) 九月、陸奥、信濃、上野、越前、越後の五国の百姓各一〇〇戸が出羽
国に移住する。
養老元(717) 二月、信濃、上野、越前、越後の四国の百姓各一〇〇戸が出羽柵に移
住し柵戸となる。
養老2(718) 五月、能登、安房、石城、石背の四国が置かれる。
この年、藤原不比等らが律令(養老律令)を撰定する。
養老3(719) 七月、東海、東山、北陸三道の民二〇〇戸が出羽柵にうつる。
養老4(720) 二月、隼人が反乱を起こし、大隅国守を殺す。三月、大伴旅人が征隼
人持節大将軍となる。五月、舎人親王が『日本書紀』を撰上する。九月、陸奥国の蝦夷
が反乱を起こし、按察使上毛野広人を殺す。
養老5(721) 出羽国を陸奥按察使の管轄下に置く
神亀元(724) 三月、陸奥国の蝦夷が反乱を起こす。
この年、陸奥国に多賀城が築かれる。
神亀元(724) 多賀城を置く
亀2(725) 一月、陸奥国の俘囚が伊予、筑紫、大和に移される。
天平5(733) 一二月、出羽柵が秋田村に移される。
天平5(733) 出羽柵を秋田村高清水岡に移す
天平12(740) 九月、藤原広嗣が筑紫で反乱を起こす。
天平勝宝元(749) 二月、陸奥国にわが国で初めての産金がみられる。
天平勝宝元(749) 陸奥小田郡黄金迫にわが国初の産金あり、献上さる
△最初の産金地は鹿角小田郡(尾去沢)であったと古くから伝えらて
て来た。
天平勝宝4(752) 二月、陸奥国多賀以北の調庸が黄金と定められる。
天平宝字3(759) 九月、出羽国に雄勝、平鹿の二郡が置かれる。越後、能登、坂東
八国などの浮浪人二〇〇〇人が雄勝の柵戸となる。
天平宝宇3(759) 出羽国に雄勝・平鹿の二郡を建てる
宝亀5(774) 七月、陸奥国の蝦夷が反乱を起こし、桃生城に侵入する。一〇月、大
伴駿河麻呂がこれを討つ。
宝亀7(776) 五月、出羽国志波村の蝦夷が叛く。一一月、陸奥国軍が胆沢の蝦夷を
討つ。
宝亀8(777) 一二月、志波村の蝦夷が出羽国軍と戦って勝つ。
宝亀11(780) 三月、陸奥国の夷俘伊治呰麻呂が叛き按察使紀広純を殺して、多賀城
に侵入する。
宝亀11(780) 伊治郡大領呰麻呂アザマロ反乱を起こす
征東大使に藤原継縄、出羽鎮狄将軍に安倍家麻呂を任命
延暦3(784) 一一月、都を長岡京に遷す。
延暦6(787) 一月、王臣、国司らの蝦夷との交易が禁じられる。
延暦7(788) 三月、諸国より軍兵、糧米が動員されて多賀城に運ばれる。七月、紀
古佐美が征東大使となる。
延暦8(789) 三月、多賀城に集結した蝦夷征討軍が進発する。六月、大墓公阿弖流
為が征討軍を破る。九月、紀古佐美が征討敗戦の責をうけて処罰される。
延暦9(790) 三月、蝦夷征討のために武器、糧米が備えられる。
延暦13(794) 一〇月、都が平安京に遷される。
延暦15(796) 一一月、坂東、北陸の諸国の民九〇〇〇人が陸奥伊治城に移される。
延暦16(797) 一一月、坂上田村麻呂が征夷大将軍となる。
延暦16(797) 坂上田村麻呂征夷大将軍となる
延暦21(802) 一月、坂上田村麻呂が胆沢城を築く。駿河、甲斐、武蔵など東国の浪
人四〇〇〇人が胆沢城に移される。四月、阿弖流為らが降伏する。
延暦21(802) 田村麻呂胆沢城を築き、翌年志和城を構築する
大墓公阿弖流為、盤具公母礼らが降伏する
延暦22(803) 三月、坂上田村麻呂が陸奥志波城を築く。
延暦22(803) 田村麻呂志波城を造る
延暦23(804) 一月、坂上田村麻呂が再び征夷大将軍となる。
延暦23(804) この年、多賀城の鎮守府が胆沢城に北進(推定)
弘仁2(811) 一月、陸奥国に和我、稗(草冠+稗)縫、斯波の三部が置かれる。三
月、諸国に俘囚計帳の提出が命じられる。四月、文室綿麻呂が征夷大将軍となる。五
月、坂上田村麻呂が没する。
弘仁2(811) 陸奥に和賀・稗貫・志波三郡を建てる。按察使文室綿麻呂(征夷将軍に
任命)陸奥出羽両国の兵を合わせ、爾薩体・弊伊の夷村を征す
△このとき鹿角道が出羽国府軍や俘囚軍の進撃路となる。鹿角は邑良
志閉オラシベ村の俘吉弥侯部都留岐キミコベノツルキの支配下にあって、爾薩
体村の夷都留岐との間で長年の係争地となっていた。
弘仁3(812) 六月、諸国に夷俘の長が置かれる。
弘仁4(813) 志波城水害のため、徳丹城が建設される
△枯草坂古墳は、奈良時代末期から平安時代初期の築造と云われる。
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