(4) 歌枕と本歌取ホンカドリ
 「小倉山」だから「小暗し」を掛け、「をみなへし」だから「をみな」を掛ける掛詞
的歌枕のことだけを先に言ってしまったが、かような語呂合わせだけではなく、その土
地の名物を取り合わせて歌に詠む場合についても触れて置かなければならない。
 「浜木綿ハマユフ」は、現在でも三重・和歌山県の海岸近くに多く見られるが、古典和歌に
おいても「み熊野の浦」の名物としてよく詠まれている。
 
 さしながら人の心をみ熊野の 浦の浜木綿幾重イクヘなるらむ(拾遺集・恋四・兼盛)
 忘るなよ忘ると聞かばみ熊野の 浦の浜木綿うらみ重カサねむ(後拾遺集・雑一・道命)
 み熊野の浦の浜木綿百重モモカサね 心はあれどあはぬ君かな(兼輔集)
 
など例は多いが、直接かの地に赴いて詠んだ歌は皆無に近く、殆どは『古今六帖』や『
人麿集』にも採られて有名な人麻呂の歌、
 
 み熊野の浦の浜木綿百重モモヘなす 心は思モへど直タダにあはぬかも(万葉集・巻四)
 
に拠ったと思われる。つまり「み熊野」と「浜木綿」の取り合わせは本歌取によった歌
枕表現であると言いたいのである。
 もう一例挙げてみよう。
 
 あたら夜を伊勢の浜荻ハマヲギ折り敷きて 妹イモ恋ひ知らに見つる月かな
                             (千載集・羇旅・基俊)
 幾夜かは月をあはれとながめ来て 浪に折り敷く伊勢の浜荻(新古今集・羇旅・越前)
 風寒み伊勢の浜荻分けゆかば 衣かりがね浪に鳴くなり(新古今集・羇旅・匡房)
 
を始め、極めて数多く詠まれている「伊勢の浜荻」であるが、これも『古今六帖』や『
人麿集』に採られて有名になった、
 
 神風の伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ荒き浜辺に(万葉集・巻四)
 
に拠った本歌取的歌枕表現である。斯くして「浜荻」は実体が定かでないままに、伊勢
の名物となり、伊勢以外の土地を詠んだ歌には詠まれることがないのである。
 名所歌枕ばかりに重点がかかり過ぎたが、考えて見れば、「梅と鴬」「藤と時鳥
ホトトギス」「紅葉と鹿」「月に雁カリ」などの取り合わせも、特定は出来ぬが、既成の和歌
に依拠した一種の本歌取であるとも言える。例えば、「梅と鴬」の取り合わせは、『古
今集』の、
 
 梅が枝エに来ゐる鴬春かけて 鳴けどもいまだ雪は降りつつ(春上・読人不知)
 
のほか枚挙に遑がなく、「藤と時鳥」についても」『古今集』夏部の巻頭歌、
 
 我が宿の池の藤波咲きにけり 山ほととぎすいつか来鳴かむ(夏・読人不知)
 
のほか数多く、「紅葉と鹿」についても、『古今集』の、
 
 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき(秋上・読人不知)
 
と云う有名な歌がまず思い出される。また「月と雁」についても、『古今集』の、
 
 白雲に羽ハネうちかはし飛ぶ雁の かずさへ見ゆる秋の夜の月(秋上・読人不知)
 
を挙げることが出来る。この歌の本歌取だとか、この歌だけに拠ったのだと断定しなく
てもよい程に一般的な取り合わせになっていたのであり、その意味では「梅」も「鴬」
も、「藤」も「時鳥」も、「紅葉」も「鹿」も、「月」も「雁」も、何れも歌枕である
と言えるのであるが、同様に「浜千鳥」と言えば「跡アト」と言い、筆跡のことを表すよ
うになったのも、『古今集』の、
 
 忘られむ時しのべとぞ浜千鳥 行方ユクヘも知らぬ跡をとどむる(雑下・読人不知)
 
に拠ったせいと考えられるし、人生の浮き沈みを表す「淵瀬」と云う語の流行も、同じ
く『古今集』の、
 
 世の中は何か常なる明日香川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる(雑下・読人不知)
 
の心を凝縮したものであると云うように、古典和歌における特色ある景物の取り合わせ
や凝縮した歌語的表現、つまり歌枕の殆どは、有名な古歌の本歌取によって成立してい
ると言っても過言ではないのである。
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