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「鏡を覗く」考

 
[赤ん坊は社会の枠組みを更新する]
 
 赤ん坊の泣き声は、ものすごく甲高い。突如としてこの世の出でて、ありったけの自己主張をしている。
 
 ところで、植物の世界においても、生長の過程においては、大きな自己主張をする。
 即ち、鱗片から芽を出すとき、萼を破って花を開くとき、殻が弾けて実が飛び出すとき、そのような時は、周囲の秩序を大きく乱し、一夜にして別世界に変貌する。この騒がしい変貌の現象は、植物の生長が健全であることのあかしである。
 
 人間の成長の過程も、植物と同じである。
 赤ん坊の泣くのも、ごく当たり前なのである。
 思春期には男子は声変わりしたり、女子はいわゆる女らしくなったりするのも、成長の過程における一現象である。
 成人になると、飲酒や喫煙の稽古に一生懸命になるのも同じと言える。
 また、若者達は、大人の仲間入りをしたいがために、暴れたりして自己主張をする。
 結婚したとき、関係者を招待して盛大な催しをするのは、二人の結婚をみんなに披露し、認めてもらうためである。
 
 即ちこれらは、そのことによって社会の秩序が再構築される、既存の社会の枠組みが更新されると云うことであり、自分達が社会の一構成員となるための、自然な現象なのである。
 つまり、植物が芽を出したり、花を開いたり、実を弾いたりするのと同じなのである。
 
 自分の家の赤ん坊であれば、泣き声にはあまり気にしもせず、可愛いものであるが、しかし、他人の赤ん坊の泣き声には、参ったりで、早く泣き止まないかと、ついその子の親を睨みつけたくなることもある。
 また、若者達の腕白振りも、目に余ると感じることもある。
 
 このように感じるのは、大人=先輩としての威厳を誇示したいがための、老婆心からであるのではないか。
 
 例えば、成人を祝うのは、偏に個人のことであり、家族のことである筈である。
 それを公の式典として祝うのは、成人の仲間として正しく受け入れることは、大人達の義務感、正義感であると勘違いすることであろう。つまり、無用なお節介をしているのではないかと、想えてしかたがない。
 
 若者の反面教師は、われわれ大人であることを忘れてはならない。
 
 またよく、二十歳の誕生日になったら、思いきり酒を飲んでみたい、喫煙したいとの声を聞くが、酒や煙草に馴れるには、相応の時間を要することも書き留めて置きたい。
 
 わが日本では、赤ん坊は赤子、即ち「赤き=明き」のことで、純真無垢の象徴でもある。
 子供を正しく導くのは、親の背中と、周囲の大人達の言動にあることも忘れてはならない。
H16.01.22
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