「或る人問う」 何故「話し合いの輪 - 和」と云う概念が生まれたのか。 「我は想う」 わが国の人々が身体で感じている主なことして、次の三つがある。 一、 わが国は、アジア大陸の東の果ての、海上の小さな島々からなっている。わが国 の東方には、最早人々の住める陸地はない。 二、わが国は有史以来、気象条件に恵まれている。と云うことは、食料植物がよく繁茂 するので、努力さえすれば容易に自給自足出来る。山からの産物も豊富である。海から の魚介類も沢山獲れる。 三、季節は正しく移り変わり、四季はこよなく美しい。これほどの理想郷が、地球上、 特に日の出づる東方の海の洋上にあるとは、信じられない程である。 大陸では「此処が駄目なら、余所がある」として、容易に転々と居場所を替え得るが 、わが日本列島は、余所へ行くと云うは、東方の海の果て、遥か彼方へ流れ行くことを意味 する。 従って、どうしても此処に留まりたいとして、集団的共同生活を営み、互いに「話し 合いの輪 - 和」を醸成してきたのである。 そのためには、隣人 - 他人の心の内を尊重しようとする思想も、育まれなければな らなかった。 自分が尊重されたいと思いたければ、その対価として相手を認めなければならない。 自分が思っていることは、相手もまた同じことを思っている。 従って自分が傷付くようなことをして欲しくなければ、相手を傷付けてはいけない。 自分が全うに生きているのに、若し自分が怨みを抱くような理由で抹殺されたら、必 ずや相手を祟ってやろう、そのためには相手を理由なくして抹殺すると、必ずや自分が 祟られる、と思うようになった。これが怨霊信仰である。 これらのことが起こらないようにして、みんなでこの理想郷に幸福に暮らし、子孫を 繁栄させようとして生まれた思想が「話し合いの輪 - 和」である。 お互いに話し合いし、納得し合い、善良な長 - 指導者を得て、蘇生されつつ生き生 きとした「時処位」を営んできたのである。 一神教の次元では、立て前的には怨霊信仰は生じ得ない。他の人を抹殺することは、 それは神のための行為であり、神の照覧するところであるからである。 しかし、生命をかけがえのないものとする世界観に立脚すると、わが国のような怨霊 信仰の意義を感じ取ってくるようになるかも知れない。 |
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