「或る人問う」 時処位は停滞するのか。 「我は想う」 万物の営みや、「信頼の輪 - 和」の循環は止むことはない。 時処位も停滞することはあっても、止むこと、無くなることは決してない。 時処位が停滞したり、又は歪んで機能することは現実にある。 ある時期ある場面の時処位において、「この時処位は完成されてものであり、これ以 上成長することは有り得ないし、蘇生することも有り得ない」と誤信することである。 例えば、「春のある日の気候は健康や長寿に最も好い」として、他の日々の気象条件 を「その春の日」の気象条件に合わせるように、森羅万象をそのために変えようとする 目論見モクロミである。 換言すれば、その時の時処位に関わる人事配置の考え方(規範)を固定しなければな らない、と云うことを発案することである。全ての事象が「その春の日」に変えられる とは、元々あった他の日々の営みは、否定され失われてしまうのである。即ち、営みの 自由、健全なる生成発展が出来なくなるのである。 ところで、わが国において、人事のうちのただ一つを除いて、不可能なものはない。 人事として就くことの不可能な位は、天皇の位のみである。それ以外は全て可能である 。天皇の祖父祖母に成ることは可能である。 即ち歴史的に、わが国日本国の政治の最高の位である、宰相(首相)を担うことの機 会は、誰にでもあるし、あったと云うことである。また国民が、(日本の中の)神にな ることも、不可能ではなかった。 このように、歴史的に自由な権利を有していたものを、制限しようとする人事が、時 処位の中で行われたので、時処位が停滞したり、歪んだりしたものと考えられる。 この原因は、造物主と被造物とに二分する西洋思想を、間違った形で受け入れ、又は 誤ってわが国の時処位に適用しようとしたことではないだろうか、と想う。 |
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