「或る人問う」 「時処位と和」についてどのように思うか。 「我は想う」 前述のとおり、時処位の典型的な形は神社祭式で表現され、また社会の成立の形も時 処位であるとも述べた。社会のおける時処位は、青少年の成長と相俟って、活力を得な がら再編成されるとも述べた。時処位の再編成とは、即ち換言すれば「時処位の蘇生」 である。 万物が今ここに存在し、その存在すること - 存在意義を以ってこの世界があると実 感される。即ち今現在存在する全てのものによって、世界の時処位 - 秩序が存在する と考えられる。この世界秩序は、時間の経過と共に変容しながら蘇生し続けていると理 解される。 さて、別掲「神道とは2」において、自分の考えとして、次のような文を記載した。 ”そのため、そこに生活する我々日本人は、「和」を旨としながら、神々の神徳のお陰 により和やかで優しい心が培われ、今日に至っているのです。 この「和」とは概略、神々の恩頼→万物の生成→人々の繁栄と幸福→神恩感謝(祭り )と万物の蘇生→遺産の伝承→神々の恩頼・・・・・・と云う「信頼の輪 - 和」と言い表す ことも出来ましょう。” この「信頼の輪 - 和」の、ある時点の姿 - その状態を図式化的に表現したのが「 時処位」なのである。この世に存する全てのものが、その置かれている部位おいて、光 り輝いている、その現実が、時処位として描かれ、この世が存在していると実感出来る のである。この世に存在するもののうち、ある「もの」だけが虚偽の行為 - 目的以外 のこと - をしたならば、この世は混乱してしまい、終にはこの世は存在しなくなって しまう、考えられてくる。 神社の例祭祭式に例を採っても理解できる。祭式では、神(神前)がそこに坐すが如 くに感得し、祭員各自は誠を尽くして、神の 神徳・神恩 - 恩頼 - に味物タメツモノや神楽 を捧げて感謝し拝礼する。この一連の式次第の、あるべき姿 - 祭式としての全き姿 - を指向して図式化(つまり祭員各自の奉仕の形)したのが時処位なのである。 即ち、ある一つの家庭の営みから、ある一つのスポーツ・ルール、ある一つの団体の組 織運営を始め、社会や国家の運営、乃至は自然環境の営みに至るまで、この世の全ての 事柄に時処位の機能は適用されるのである。 万物の営みは、一時のものではない、蘇生を繰り返して生き続けている。これを端的 に表現したのが時処位の機能 - 効能である。それは循環しながら「信頼の輪 - 和」 となって、万物の営みに寄与する、換言すれば時処位の具現そのものが万物の営みと理 解することが出来る。 |
[次へ進む] | [バック] |