時処位に想う

思春期と社会秩序 H15.03.28

「或る人問う」
 思春期、即ち十代から二十代前半の年齢の時期は、社会の秩序を乱す行為が目に付く とされるが、如何に思うか。
 
「我は想う」
 その人の性情の善し悪しは、幼児期に形成されるとされている。即ち諺で「三つ子の 魂百まで」と云われているが、その通りであると想う。
 このこと自体は、個々人の「性質」の問題であって、質問の趣旨とは次元を異にして いるようであるが、実はそうではない。
 而して、社会の秩序を乱すことに関して、青少年、特に男子において多く目に付くこ とは貴見の通りである。
 
 いわゆる「聖書の世界」においては、人は神の前において「平等」、つまり万物は神 によって造られた故に、全て平等である、とする観念がある。そこには原則的には「時 処位」の概念は成立しないように考え勝ちであるが、決してそうではない。社会を構成 しているのは、老若男女である。異なる年齢層、異なる異性が均衡好く保って社会が形 成されている。即ち、社会そのものは、「時処位」の上に成立しているのである。
 
 ところが、思春期は心身共に、急速に形成される時期である。従って、「時処位」の 均衡が、思春期の人々のところで激しく震動し、恰もそこでは混乱が起こっているよう に感じられるのである。少年期の時処位の格付け - 段階が、青年期の時処位の位置に 急な勢いで成長移行するからである。そのため、成人層から観れば異様に感じられ、こ の思春期の激しい心身の成長は、ときとして社会の秩序を乱す行為をも引き起こし、そ れが目に付きやすいのである。
 
 例えば、昆虫が蛹から羽化して一人前の成虫になるとき、植物の蕾が破れて美しい花 を開くとき、そこには現実の大変化(蛹や蕾の殻の破壊)、即ち「時処位」の決定的な 再編成があるのである。
 いわんや、人間においては、子供が生まれた瞬間、静寂を破る甲高い「産声」もそれ である。子供が生まれたことにより、その家庭には「時処位」が再編成されたのである 。
 
 自分の経験から云うと、思春期の心身の在り方は勿論であるが、六十歳を過ぎた現在 でも、「三つ子の魂百まで」の諺は全く適用されていると想っている。と云うことは、 必ずしも「幼児の魂」は素直ではなかったのではないか、と推測しつつ、またその頃の 家庭環境を思い浮かべつつ現在に至っている。
 「子供は生まれながらにして、無色無臭の、全くの人」であると自分は確信している が、それが如何なる方向に導かれるかは、親や家庭環境、そして社会に因るのである。
 
 従って、幼児期に、その性情が素直に伸長されて行くよう、我々大人は重大な関心を 持って、これを助長する必要がある。素直な性情の持ち主は、心身の急激な成長に際し て、社会の活性に十分に寄与することはあっても、決して「悪」へ走ることはないもの と信じている。
 よく熟年の大人は、「今の若い者は・・・・・」と批判しているのを屡々見かけるが、その 人自身が今現在、「自分は本当に社会に誇り得る」、「自分を社会が必要としている」 のか、「思春期に本当に社会の秩序を破らなかった」のかを断言出来得るであろうか。

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