GLN町井正路訳「ファウスト」

「ファウスト」註解

第二場、城門の前(四五頁)  此の一節は、当時の化学者たる錬金術家の仕事を歌った趣味深き詩である、科学が 神秘から脱出することが出来無かった時代には、其の記述されたものも勿論神秘的で あったのである。でファウストの父はたゞ真正直に而かも自己流にやったのであるが、 これが即ち万能の妙薬で、愚者は陸続死んで了うたというのである。
 
赤獅子(五八頁)は赤色酸化水銀のこと。
 
熱誠な恋人(同上)は赤色酸化水銀が凡ての金属と化合する状態を形容した もの。
 
百合(同上)はアンチモニーのことで羅甸語のリヽアム、パラセルシイ即ち 白き石の意。
 
温い湯の中で結婚させる(同上)と云うのは重湯煎(ゆせん)で徐々に化合 を導くこと。
 
二人は焔に苦められ(同上)と云うのは湯煎を終った後、直接火力で熱せしむる ので、猛烈な焔を起し発烟する状態を苦痛と形容したのである。
 
粧を凝らした女王(同上)とは昇華物のことを云うのである。
 
若し僕の見誤りで無ければ、彼奴の歩みに一条の火を引いて居るぜ (六三頁)  ファウストが、黒尨に化けて居た悪魔に取つかれるという事は「物語」にあるので、 夫れを採用したものとしても宜しいが、ゲーテは「色」と題する論文の内に「歩みの後に 火を引く」という事に就て、趣味ある説明を加えたことがある、乃ち「黒色の物体が 一所より他所に其の位置を移す際に、眼は之と同形の光体を見ると同一な刺戟を受ける」 ということである。之れは心理学上著名なことであるそうな。
 
第三場、書斎(六七ページ)  詩聖ゲーテは常に聖書の正訳を得るべく熟望して居たという事は、記録に残されて あるのだが、此の場で其の一端を表示して居る、乃ちファウストの詞の「我々は 超自然を尊び、天啓を渇望して居る」云々以下がそれである。又レッシングの手に 成った゛ファウスト劇」には、ファウストがアリストテレスの哲学を研究して居るとの ことが記(かい)てある。
 
五角神符(七六頁)  五角神符を描くことは、蹄鉄を入口に掛けて置くと同じような禁厭(まじない)で、 所謂「魔除(まよけ)」であるが、ファウストの室に掛けてあった五角は、上部が少し 欠けて居た為めに、神符が破毀されてあるのだと思ったメフィストが入り来ったので あるが、さて出ようと云う時に見ると、完全な一個の神符であるので、茲に出路を 失って所謂袋の鼠となったのである、(十七世紀の始めに、和蘭の画家で、ファウスト が二個の交叉せる円の内に、二個の交叉せる方画の上に立て、今将に正体を現わさんと して居るメフィストを呪うて居る処を描いたものがあるそだ。)
 
第四場、書斎、一人の学生登場(九九頁)  メフィストと学生との対話は、当時の独乙大学に於ける教授方法の欠点を風刺したの で、ゲーテ自身が大学在学中の経験を記したのであるが、現代の我が大学などは果して 如是に類する欠点は無いのであろうか。
 
第五場、アウエルバッハの酒屋(一一〇頁)  こゝはビーアホールまたはカフェーのような、公衆の会飲する場所である、 ライプチッヒに於ける此の酒場は、今日も尚お存在して、ファウストが会飲したと伝え らるゝ一室で、ゲーテも亦宴会を催したという、其の室は今日も現に見ることを得る そうだ、で其の室には最も古い二個の画がかけられてあって、其の一はファウストが 数人の学生と列座し、音楽を聴きつゝ杯を傾けて居る処、其の二は酒樽に乗って今や 戸口を出ようとするのを、皆唖然として見送って居る処だということである。
 
第六場、魔女の厨房(一三三頁)  此の場は悉く珍奇な事実を以て充たされてある、(一)ブロックスベルグに於ける 怪獣が三十年の久しき間、独乙人を悩まして居たということは古い記録に残って居る。 (二)ファウストを若返らしむるに必要な魔酒は、メフィストの手に成るのでは無く、 特別な専門家が、自然の法則に依て造ることにしたのは、味う可きである。 (三)章中に散在する魔猿の歌の意味は、皆時世を暗示したもので、言外の深意がある のである。

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