GLN町井正路訳「ファウスト」

「ファウスト」解題

 我が大詩人ヨハン、ウォルフガング、フォン、ゲーテがストラスブルグの大学を 卒業し、ドクトルの称号を得たのは、彼が二十三歳の時であったが、此の時 既に彼は「ファウスト物語」を巧妙なる詩に作ろうとの意を決して居ったとのことである。 彼自らも云った通り其の幼時幾回となく耳聞目睹した物語と操り人形とは、彼の 脳裡に深い印象を与え、且つ其の後の彼が生活には、物語中の真理を事実に味うことの 出来る場合が多かったので、詩人天来の繍腸(しゅうちょう)は、益々「ファウスト」に 対する熱誠を加うるに至った、彼はライプチッヒ大学で、種々の題目の下に幾多の講義を 傾聴したが、一として目覚しいものは無く、皆無味乾燥で、徒に形式に走ったもの許り、 所謂大学教授の講義なるものは、只管言語を弄ぶものに過ぎないことを悟った、 ゲーテは其の後哲学博士の称号を授けられたが、学位の如き固より彼に取っては一の 虚名に過ぎないのだ。
 
 大学を終業したゲーテは、郷里フランクフュルトに帰り、クレッテンベルグ嬢と深く 交際することとなった、で此の処女は敬虔の念深く、思を常に神秘の世界に通わして 居った、後ゲーテは数ケ月間一室に退いて、錬金術に関する各種の著書を閲読し、 中世紀の科学を研究して、所謂「哲人の石」なるものを発見せんとした、其の後彼は 更に各所に移り、ストラスブルグにも行ったが、其の地の一寺院は、恰も運命の精霊の 如くに彼を誘ったので、そこで彼はゴットフリード、ヘルデルなる天才の歓迎に遇い、 其の人の訓練を受け、雄宕偉大の空想を得て、始めて「ファウスト」の誕生を見る ことゝなった。けれども其の資料は悉く経験に取り、熟考の結果に依るという風、 で、漫りに筆を下すことを為さなかったので、容易に世に公にするに至らない、 漸く一七九〇年になって、今日の所謂第一編なるものを出版した、其の時の内容を 挙示して見れば、
(一)ファウストの独語、地球の精霊出現、ワグネルとの会見、
(二)今日の書斎に於けるメフィストフェレスとの第二の会見と称するものゝ半ばから 悪魔の庖厨(ほうちゅう)の場の終り迄
(三)処女グレッチェンの話(ヴァレンチンの死を省く)と寺院の光景
 
 右の通りで、其の後四年間は一句も増減され無かった、一七九四年になって、 ワイマール市に居を卜し、大詩人シルラーと交を厚くするようになってから、彼の 「ファウスト劇」は多大に刺激を被むるに至った、同年十月二十九日附シルラーから ゲーテに宛てた手紙に、
 拙者が希望中の希望は貴下が「ファウスト」の続稿を拝読したしとの念に御座候、 ハーキューレーズの立像は彫刻物の白眉と称せられながら頭部を欠き候事誠に残念の儀 と存じ候、貴下の「ファウスト」も亦ハーキューレーズの立像たるを免れ難しと 存ぜられ候。
云々の文句があって、それから三日の後、これに対するゲーテの返信に、
 御尋ね被下候「ファウスト劇」の続稿は未だ御覧に入るゝまで整頓し居らず、 原稿の侭荷造居し置候、当分の間整理するの元気も暇も無之其の侭打捨て置くの外 致方なしと存じ候。

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