博士ファウストは、ワイマールに近いローダと云う一村落の、貧困な農家に生れた
のであるが、やゝ長ずるに及んで、ウィテンベルグに住居する富豪の親戚に扶助
せらるゝ好運に会し、為めに大学に入ることを得た、彼が大学にあるや、神学の
蘊奥(うんおう)を窮め、常に同輩の首位を占めて居ったが、やがて諸博士の面前で、
公の試験を経て神学博士の学位を得た、次で彼はあらゆる神学書を読破し、凡ての
学者と意見を闘わし、遂には学ぶもの無きに至ったので、不満の念禁ずる能わず、
為めに神に関する神聖なる書籍は、悉く之を封鎖して了った。斯かる有様で、
彼は常人と異って居ったので、常に懐疑者と呼ばれ、又空想家と称せられ、
「悪魔に憑かれし者は又如何ともす可からず」と云わるゝに至った。
斯く神書を窮めた結果神を排斥するに至ったファウストは、やがて俗界の学術に
思を凝らし、神学者という称号を嫌忌すること甚だしく、全く俗化し了して、
自ら医学博士と称し、又天文学と数理学とを研究した、伝えらるゝ処に拠れば、
彼は或時鷲に乗って、天地間の距離を測量したということである、あわれ足る
ことを知らぬ彼は、斯の如くにして遂に悪魔の術を究む可く寝食を忘るゝまでに
堕落し了した、一夜彼は暗黒の時を選び、ウィテンベルグより程遠からぬスペッセル
の森林に赴き、神の教に於て厳禁せられたる種々の呪文を唱え、円を画して悪魔を
呼出す可く試みたのである、”たちまち”にして天地大に震動し、種々の
恐ろしき現象を呈したが、やがて其処に灰色の一僧侶現われ出で、二三の問答
を交換し、翌夜ファウストを其の家に訪問すべく約して、忽然と消失せた、
で第二回の会見は少時にして終ったが、第三回の会見で両者の商議は結了した、
乃ち魔王は代理を以て彼と契約を締結しようと云うので − 魔王ルシファの
僕メフィストフェレスというのがやって来て、ファウスト自身の血で契約書を
書いてくれと云う、夫れで其の契約の条項はと云うと、第一基督教の教理を排斥し、
第二正当の結婚を為さず、第三二十四年後には人類の敵たる魔王にファウストの
身体を引渡すと云うことで、若しファウストにして右の条項を承諾するならば、
爾後二十四年間は、契約以外の如何なる慾望をも、直ちに之を充たすことを得る
と云うのであるが、軽率なる彼は、不用意千万にも此の契約に調印した、で彼は
魔王と雖も、決して人の想像するような凶悪なものではなく、又地獄も人が
考えて居るような炎々たるもので無いと思惟したのである、さて此の調印が了ると、
メフィストフェレスは博士の希望を尋ねる、彼が望む処は快楽生活で酒食に耽って
悠々日を送りたいと云う慾望であった、其の要求は直ちに容れられて爾来年毎に
千三百クラウンの収入ある王公貴族以上の生活を営み、日々山海の珍味に飽くことを
得るに至ったが、変化を喜ぶ人情の常として、やがて彼の心は又一変して、
規律的生活を欲し、結婚を望むようになった、メフィストフェレスは彼の望を聞て
大に怒り、其の食言を詰責したが、ファウストは切に自己の希望を主張するので、
急に暴風を呼んで彼の家を猛烈に震動せしめ、次で変心者の四股を分離せしめようと
までして、大に悪魔の威力を示した、此の脅喝に驚いたファウストは更にその希望を
変じて、宇内を見聞し、地獄と、堕落せる天使と、世界の創造並に人間の根源とに
就て、理解し得べき詳細の説明を請求した、メフィストフェレスは之に答えて、
「地球の存在は無始無終である、而して人類も亦此処に無限に存在す可し」
と云う。
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