13 玉依姫
参考:堀書店発行「神道辞典」
〈玉依姫タマヨリヒメ〉
玉依姫は霊依姫タマヨリヒメの意で、タマは神霊、ヨルは人間に憑ツくこと、即ち神霊の憑依
ヒョウイする女、祭仕えの女官・巫女ミコのことである。
固有名詞化した玉依姫の名は古典の中に頻出する。即ち、
海神の女豊玉毘売トヨタマビメの妹で、鵜葺草不合命ウガヤフキアヘズノミコトの后となった玉依毘売
命
三輪の大物主神の妻となった活玉依毘売(記)
天忍骨命の妃となって天之杵火火置瀬尊アメノキホホオキセノミコトを生んだ、高皇産霊尊の女万幡
姫ヨロヅハタヒメの女の玉依姫命(紀)
山城国風土記逸文の賀茂神社の縁起に見える玉依姫など。
神の妻となり、神の子を生んだ女性にこの名が用いられることは、彼女等が神に仕え
て神の御子を孕む任務を持った霊巫であったことを意味している。
玉依姫譚の多くは一種の処女懐胎、若しくは神の子の神秘な誕生を物語るものである。
なお近世、巫女伝説の中には、「玉」と云う字を用いた玉依姫に近い名が多く、玉世
媛・玉代姫・玉振姫・玉日姫・玉織姫・玉藻前などがあり、姫神信仰の痕が残っている。
△豊玉毘売命トヨタマビメノミコト(豊玉姫尊とも)
豊玉毘売命は海神の女ムスメ、豊は語根形容詞で、十分満ち足りていること、玉は神霊、
威大な巫女としての力を持つ女の意である。
穂穂手見命(火遠理命・火折命ホヲリノミコトとも、山佐知毘古)が海神の宮に赴いたとき、
その后となる。穂穂手見命が帰郷の後、命の後を追ってこの国に至り、御子を生む時の
到来したことを知らせ、海辺に産屋を建てた。豊玉毘売は夫に産屋を覗くことを禁じて
中に入るが、穂穂手見命は誓を破ってこれを覗いたところ、彼女は八尋和邇ヤヒロワニ(紀で
は龍)と化していた。出産場面を見られたことを恥じた豊玉毘売は御子鵜葺草不合命
ウガヤフキアヘズノミコトを残し、海坂を塞いで海に帰ってしまった。後、彼女は妹玉依毘売に托
して夫に歌を送り、玉依毘売は鵜葺草不合命を養育し、その妻となる。また掃部連
カニモリノムラジの遠祖天忍人命アメノオシヒトノミコトが箒を作って蟹を掃い、鋪設シキモノを掌ってこの産
屋に奉仕したと云う(古語拾遺)。
穂穂手見命と豊玉毘売命の物語は、貴種流離譚である。穂穂手見命は兄火照命(海佐
知毘古)の鉤ツリバリを失った罪で綿津見国へ禊の旅を行い、豊玉毘売命は水の神に仕える
巫女としてその禊を助ける役にある。綿津見国には、海の水及び獲物を司る処、また常
世の観念がある。穂穂手見命はこの国への旅と豊玉毘売との結婚によって、海の支配権
を得(山佐知毘古としての山の支配権に加え)、その人格を完成し、皇位に就く資格を
得た。
また穂穂手見命が産屋を覗くことにより、豊玉毘売が和邇と化した姿を見ることが出
来たのは、覗き見によってそのもの(霊)の真の姿、神の神性を見ることが出来るとの
信仰による。
伊邪那岐命が黄泉ヨモツ国で伊邪那美命の姿を見たのも、覗き見によるものであり、昔話
の食わず女房・鳥女房・魚女房なども、覗き見によって霊の本体を見顕わすのである。
神は、常態では(感覚的には)見ることは出来ないものとして存在している。つまり、
神は隠り身であり、若しくは人その他の形を執って現れるので、その姿を常態で(五感
により)直接見るのは不可能であるが、一火ヒトツビを燭し、或いは透見スキミをすると云う
異常な手段によって見ることが出来ると考えられたことが判る。
この物語に拠ると、綿津見国とこの世とは海坂ウナサカを堺として、海道ウミツジによって通
じていた。これは黄泉国が黄泉比良坂ヨモツヒラサカによって隔てられていたのと同様、異郷と
の堺が坂となっており、これを越えれば神の国とも自由に交通が出来ると考えられてい
たことを示す。
一方神の国、異郷に旅した者は必ずこの世に戻って来るとの考え方がある。穂穂手見
命が妻を置いてこの世に戻ったのも、盆や正月に祖霊の訪れを考え、浦島子・多遅摩毛理
など常世に旅した者が再びこの世に帰って来るとの思想が母胎となっている。豊玉毘売
がこの世を訪れながら、再び海に帰らなくてはならなかったのも同じことである。
参照 神話・伝説考「海幸・山幸」「海よりの御子」
[次へ進む] [バック]