11 神魂とは
 
                       参考:吉川弘文館発行「古事類苑」
                       参考:堀書店発行「神道辞典」

 
〈神魂とは〉
 
 神魂とは、天神地祇の霊魂にして、之をミタマと云い、其の作用に従いて、荒魂
アラミタマ、和魂ニギミタマ、幸魂サキミタマ、奇魂クシミタマ等の称あり。荒魂は其の剛健の性を具有する
ときの称、和魂は其の和穆の徳を保持するときの称、之をして幸福あらしむるときは、
則ち幸魂と云い、其の奇霊の徳を以て庶事を識別するときは、則ち奇魂と云う。共に皆
神魂の徳用にして、或いは物に憑依して以てその威霊を示す。而して分魂の作用及び霊
徳に就いては、後世学者の解説一ならず。
 
〈神霊の四魂 − 和魂・荒魂・幸魂・奇魂〉
 
 和魂・荒魂(荒御魂)は日本書紀・延喜式・古風土記の中に現れている語であり、幸魂・
奇魂は日本書紀に一例だけ見える古語である。
 和魂・荒魂・幸魂・奇魂は、神霊は異なる霊能を持つ霊魂の複合によって神業を行い給
う、と云う認識があった事を示すもので、和魂・荒魂は神の加護に対する感謝と、神威の
畏さに対する信仰に応じ、幸魂・奇魂は、神の恵と神秘さとの信仰に根ざしたものであろ
う。
 荒魂を神社に祀った事例必ずしも多くないが、古社の中に屡々見える。例えば住吉大
社・長門住吉神社は、神功皇后が三韓の役の因みにより住吉三神の荒魂を祀った。同じ
時、広田神社に天照大御神の荒魂を、新羅国に住吉産神の荒魂を祀った。大神神社には
大国主命の幸魂奇魂を、狭井神社・摂社には大国主命の荒魂を、高鴨阿治須岐託彦根命神
社には葛城一言主神の荒根を鎮祭している。皇大神宮の別宮荒祭宮には天照坐皇大御神
の、豊受大神宮の別宮多賀宮には豊受大御神の荒魂がそれぞれ鎮祭せられていると云う。
豊受大神宮の別宮月読宮には、月夜見尊の和魂・荒魂を同殿に鎮祭し、皇大神宮の別宮月
読荒魂宮には、月読尊の荒魂を奉斎せられている。
 荒魂は、アラブル神(暴神・荒振神・荒梗・荒神・悪神・鬼神)と混同されやすいが、荒魂
は神霊の霊徳を頌讃する信仰に属し、アラブル神とは全く異なる概念である。
 
〈幸魂・奇魂〉
 
『日本書紀 一』(神代 上)「幸魂・奇魂、大三輪神」
(前略)一書に曰はく、夫カの大己貴命オホナムチノミコト、少彦名命スクナヒコナノミコトと力を戮アハせ心
を一にして、天下アメノシタを経営ツクりたまふ。(中略)自後コレヨリノチ、国の中に未イマだ成らざ
る所をば、大己貴神独り能ヨく巡り造りたまふ。遂に出雲国に到りて、乃スナハち興言コトアゲ
して曰ノタマはく、夫カの葦原中国アシハラノナカツクニは本モトより荒芒アラびたり。磐石草木イハネクサキに
至及イタるまで、咸コトゴトく能く強暴アシかり。然れども、吾已に摧クダき伏せて、和順マツロは
ぬは莫ナしと。遂に因りて言ノタマはく、今此の国を理ヲサむるは、唯吾一身ヒトリのみなり。其
れ吾と共に天下アメノシタを理む可き者蓋ケダし有りやと。時に神光アヤシキヒカリ海ウナバラを照テラし、
勿然タチマチに浮び来る者有り。曰イはく、如モし吾在アらずば、汝イマシ何イカにぞ能く此の国を
平コトムけまし。吾在るに由りての故に、汝其の大造之績オホヨソノイタハリを建つることを得たり
と。是コの時、大己貴神問ひて曰はく、然らば則スナハち汝は是れ誰タレぞ。対コタへて曰ノタマは
く、吾は是れ汝が幸魂サキミタマ奇魂クシミタマなり。大己貴神の曰はく、唯ウベ然シカなり、廼スナハ
ち汝は此れ吾が幸魂奇魂なりけりと知りぬ、今何処イヅコにか住スまむと欲オモふや。対へて
曰はく、吾は日本国ヤマトノクニの三諸山ミモロヤマに住まむと欲オモふと。故れ即ち宮を彼処カシコに
営ツクりて、就ユきて居マしまさしむ。此れ大三輪之神オホミワノカミなり。此の神の子ミコは、即ち
甘茂君等カモノキミラ、大三輪君等、又マタ姫蹈備(備の人の代わりに韋・「鞴」)ヒメタタラ五十鈴
姫命イスズヒメノミコトなり。
 
〈和魂・荒魂〉
 
『日本書紀 九』(神功皇后)「皇后の訓誡、神誨」
(前略)時に皇后キサキ親ミヅカら斧鉞ミシルシノツハモノを執トりたまひて、三軍ミイクサに令ノリゴちて曰
ノタマはく、金鼓カネツヅミ節ワイダメ無く、旌旗ハタ錯マガヒ乱るれば、則ち士卒イクサノヒトドモ整はず。
財タカラを貪ムサボり多欲モノホシミして、私ワタクシを懐イダき内に顧カヘリミせば、必ず敵アダの為に虜ト
られなむ。其の敵少なくともな軽アナヅりそ。敵強くともな屈オぢぞ。則ち姦暴ヲカシシノガムむ
をばな聴ユルしそ。自オノヅカラに服マツロふをばな殺しそ。遂に戦勝カつ者は必ず賞タマモノ有らむ。
背走ニぐる者は自ら罪有らむと。既にして神、誨ヲシへたまふこと有りて曰ノタマはく、和魂
ニギミタマは玉身ミミに服シタガひて寿命ミイノチを守り、荒魂アラミタマは先鋒サキと為ナりて帥船ミイクサノフネ
を導かむと。即ち神教カミノミヲシヘを得て、拝礼イヤマひたまふ。因りて依網吾彦男垂見
ヨサミノアビコヲタリミを以て祭神主イハヒノカムヌシと為す。(下略)
 
〈荒御魂アラミタマ〉
 
『古事記 中』(仲哀天皇)「新羅国・百済国」
(前略)故カれ是ココを以て新羅国シラギノクニをば御馬甘ミマカヒと定めてたまひ、百済国クダラノクニ
をば渡屯家ワタノミヤケと定めたまひき。爾ココに其の御杖ミツエを新羅の国主コニキシの門カナトに衝ツき
立てたまひき。即ち墨江大神スミノエノオホカミの荒御魂アラミタマを国守クニマモります神と為シて、鎮め
祭りて、還り渡りましき。(下略)
 
〈和魂・荒魂〉
 
『日本書紀 九』(神功皇后)「住吉三神の荒魂を穴門に祭る」
(前略)皇后キサキ、新羅シラギより還りたまふ。(中略)是ココに軍ミイクサに従ふ神、表筒男
ウハツツノヲ・中筒男ナカツツノヲ・底筒男ソコツツノヲ三神ミハシラノカミ、皇后に誨ヲシへて曰ノタマはく、我が荒魂
アラミタマをば穴門アナトの山田邑ヤマダノムラに祭らしめよと。時に穴門直アナトノアタヒの祖践立オヤホムタチ、
津守連ツモリノムラジの祖田裳見宿禰オヤタモミノスクネ、皇后に啓マヲして曰イはく、神の居マさまく欲
オボしたまふ地トコロをば必ず定め奉るべしと。則ち践立を以て荒魂を祭る神主カムヌシと為し、
仍ヨりて祠ヤシロを穴門の山田邑に立つ。(中略)皇后の船ミフネは、直タダに難波ナニハを指す。
時に皇后の船、海中ワタナカに廻モトホりて進むこと能アタはず。更に務古水門ムコノミナトに還へりま
して卜ウラへたまふ。是に天照大神アマテライオホミカミ、誨ヲシへて曰ノタマはく、我アが荒魂アラミタマをば
皇居オホムモトに近づく可からず。当マサに御心ミココロ広田国ヒロタノクニに居ヲらしむべしと。即ち山
背根子ヤマシロネコの女ムスメ、葉山媛ハヤマヒメを以て祭イハはしむ。亦稚日女尊ワカヒメノミコト、誨へて曰
はく、吾は、活田長峡国イクタノナガヲノクニに居らむと欲オボすと。因りて海上五十狭茅
ウナガミノイサチを以て祭はしむ。亦事代主尊コトシロヌシノミコト、誨へて曰はく、吾を御心長田国
ナガタノクニに祠マツれと。則ち葉山媛の弟長媛イロトナガヒメを以て祭はしむ。亦、表筒男・中筒男・
底筒男三神、誨へて曰はく、吾が和魂をば宜しく大津渟中倉長峡オホツノヌナクラノナガヲに居くべ
し。便スナハち因りて往来ユキカふ船フネを看ミむと。是に於オキて神教カミノヲシヘの随マニマに鎮坐シヅメマ
さしむ。則ち平タヒラカに海を度ることを得たまふ。(下略)
 
〈くしみたま〉
 
『万葉集 五雑歌』
かけまくは あやにかしこし たらしひめ かみのみこと からくにを むけたひらげ
て みこころを しづめたまふと いとらして いはひたまひし またまなす ふたつ
のいしを 世人ヨノヒトに しめしたまひて よろづよに いひつぐかねと わたのそこ
おきつふかえの うなかみの こふのはらに みてづから おかしたまひて かむなが
ら かむさびいます くしみたま いまのをつつに たふときろかも あめつちの と
もにひさしく いひつげと このくしみたま しかしけけらしも
[次へ進む] [バック]