91 教誨師の任務と活動
 
                       参考:神社新報社発行「月刊若木」
 
〈教誨キョウカイとは〉
 教誨とは、刑務所や少年院など矯正施設の被収容者に対して行う精神的・倫理的・宗教
的な教化活動です。その目的とするところは、被収容者の心情の安定、徳性の涵養、精
神的救済などです。
 「監獄法」(明治四十一年・法律二八号)第二十九条に、
 受刑者ニハ教誨ヲ施ス可シ
 其他ノ在監者教誨ヲ請フトキ之ヲ許スコトヲ得
とあり、この条文が教誨及び教誨師制度の法的根拠とされています。
 
〈教誨の沿革〉
 江戸時代には徒刑制度が整い、各藩に牢獄が設けられ、囚人の教化に努めた藩もあり
ました。紀州藩主徳川頼宣が儒者李海峡を差し向けて、親殺しの少年を悔悟せしめたと
の記録もあります。更に寛政二年(1780)、幕府は石川島に無籍者、犯罪者等を拘置す
る人足寄場を設け、老中松平定信は心学者中沢道二を遣わし、これらの者の教化に当た
らせました。このような制度が後に近代教誨を生み出す土壌となったと言えましょう。
 明治三年(1870)「新律綱領」、翌四年には「徒場規制」が制定されて、毎月心学者
による囚徒の教化が行われました。
 明治五年、宗教に基づく公的な教誨の必要性について、真宗大谷派の僧侶鵜飼啓凛が
名古屋監獄に、同じく對岳が巣鴨監獄に、翌六年には浄土真宗本願寺派の船橋要が岐阜
監獄に、それぞれ請願を行い、認められました。これがわが国の近代教誨の始まりであ
り、彼等が先駆者とされています。
 
 その後、神道、仏教各派などから全国各地の監獄に教誨実施の出願が相次ぎました。
しかし明治二十年代中頃からは、教団を挙げて教誨活動に取り組み始めた浄土真宗二派
(浄土真宗本願寺派・真宗大谷派)の増加が目覚ましく、同三十年代にはこの二派の僧侶
が殆どの施設の教誨を任され、終戦に至りました。
 戦後は、法制の改革に伴い神道・仏教・キリスト教系等多くの教団に教誨の道が開かれ
ています。 
 
〈一般教誨と宗教教誨〉
 教誨の沿革からも明らかなように、教誨には道徳的・宗教的の両側面があります。それ
を今日、一般教誨と宗教教誨と呼んで区別しています。
 一般教誨は、宗教以外の道徳・倫理等の講話などを通して行うもので、施設職員による
生活指導や篤志面接委員(被収容者に助言や指導などを行う民間篤志家)、教誨師によ
る入所時・出所時教育がこれに当たります。
 宗教教誨は、宗教行事・習合教誨・特殊教誨・個人教誨・グループ教誨(宗教集会)など
の宗教活動を通して行うものです。
 これら二種類の教誨のうち、憲法に定める信教の自由との関連から、強制出来るのは
一般教誨に限られ、宗教教誨は被収容者の任意参加となっています。
 
〈教誨師とは〉
 刑務所や少年院などの矯正施設で、教誨に従事する者を教誨師と云います。
 明治時代初期には心学者や儒者も教誨に携わっていましたが、時代が降ると特に浄土
真宗の僧侶を中心とした宗教者に限られるようになり、今日でも教誨師は全て宗教者が
務めています。
 また教誨師の身分は、明治三十六年公布の「監獄官制」により奏任若しくは判任待遇
の官吏として扱われましたが、戦後はボランティアとなりました。
 教誨師の任命は、一般には教誨師会と所属教団の両方により行われます。
 教誨師会は、原則として刑務所や少年院等の施設毎に結成されています。同一都道府
県内に複数の施設がある場合には、施設毎の教誨師会の連合体として都道府県教誨師会
があり、また全国機関として財団法人全国教誨師連盟が組織されています。
 
 一般には、所属教団の推薦により施設及び都道府県の教誨師会が任命し、施設の長の
承認を得ると、「○○刑務所教誨師」として教誨活動が出来るようになります。
 同時に所属教団の任命により、「○○教団教誨師」となります。
 現在、全国約300ケ所の施設で、50余の教団所属、1700余名の教誨師が活動していま
す。
 
〈教誨師の任務〉
 刑務所・少年院等の矯正施設では、教誨師が自ら信じる宗教の教化活動を行うことで、
被収容者が信仰心を高め、心情の安定を図り、更正への道を歩むことを期待しています。
 また、施設の職員は被収容者を平等に処遇するあまり、被収容者の中には彼等を「冷
たい」と感じる者もいるようです。これに対して、外部からボランティアで訪れる教誨
師や篤志面接委員には、安心感を持ち、信頼、尊敬を寄せると云われます。
 教誨師は、こうした自覚に立って、被収容者の社会復帰のため社会に適応出来る健全
な社会的思考、意識、穏当な態度が身に付くように配慮しなければなりません。
 これらの観点から教誨師には、高潔で十分な見識を有するだけでなく、堅固な意志、
高い社会的関心、厳格な遵法精神などが求められると云えましょう。
 
〈神社神道と教誨師〉
 神職による教誨は明治初期には散見されましたが、同二十年代には皆無となりました。
背景には、浄土真宗二派が全国の教誨活動の任に当たったと云う当時の実情があります。
 時代は降って戦後、日本国憲法の公布、施行を機に、官吏としての教誨師は廃され、
国は教誨師の推薦を財団法人日本宗教連盟に依頼しました。これを受けて昭和二十二年
十一月、同連盟は宗教教誨中央委員会及び同地方委員会を設置し適格者の推薦を始めま
した。この組織が後に、財団法人全国教誨師連盟の結成に繋がりました。
 このような教誨師制度の変革に伴い、設立間もない神社本庁は、教誨師を重要な教化
活動の担い手と考え、昭和二十一年六月日本宗教連盟に加盟すると共に理事三名を送っ
て教誨師選任に参画し、更に独自に教誨師に関する研究機関を設置し、翌二十二年十二
月二十六日には「神社本庁教誨師規程」を定めました。これにより神社本庁教誨師制度
が確立しました。
 
 神社本庁教誨師は、神社庁長の内申により統理が委嘱します。現在、全国四十二都道
府県で一二六名の神社本庁教誨師が活動しています。任期は三年で、年一回神社本庁教
誨師研究会を開催し、相互研鑽に努めています。
 神社本庁教誨師が教誨活動に従事する上での基本は、神社本庁憲章・敬神生活の綱領・
神社本庁教誨師規程の遵守と実践であることは云うまでもありません。
 なお、矯正施設における具体的な活動としては、一般教誨・宗教教誨の他、宗教行事と
して大祓・各種祈願祭・節分祭・春分祭・秋分祭・新穀感謝祭・被害者慰霊祭などが挙げられ
ます。
 
〈全国教誨師連盟の活動〉
 全国の教誨師会の上部団体として、財団法人全国教誨師連盟が組織されています。同
連盟は、全国教誨師大会を始めとする会議行事、中央研修会等の研修、また行政当局で
ある法務省や教誨師を輩出している教団との連絡会議等を通じて、教誨師が直面する課
題について検討、審議しています。
 現在、連盟役員の定年制、後継者の養成、女性教誨師の増加施策、矯正施設の過剰収
容への対応等が課題となっており、これらへの取組みが急務と云えましょう。
「神社本庁憲章」
「敬神生活の綱領」
「神職奉務心得」
[詳細探訪(神社本庁教誨師規程)]
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